今日、アップした兄の思い出話を読んだ兄からメールが届きました。


かくも傷つきやすい思春期男子の心、


そういうことに鈍感な大人たち、わかってくれる大人の存在など考えさせられます。


了承を得て掲載しまーす。


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以下、兄からのメール



教師からの謝罪はない。教師が生徒に謝るという社会通念はない時代だし、そもそも事の真相を彼がどうとらえていたかも不明。差出人が誰か分かったのは、学校経由ではなく、友達から。確か、差出人がそのことを人にしゃべって、それを人づてに聞いたと記憶している。



両親の対応も、ぼんやりした記憶しかないのだけど、ともかく僕が無関係だということは信じていた。僕が母に言ったのだか学校から母に言ったのだかして、まず母が知り、それを母が父に(僕のいないところで)言って、父のコメントを母が僕に伝言した。伝言によると父は「お父さんは、『場合によっては俺が学校に話をつけに行く』と言っている」という意味のことを聞いた、と記憶している。内容の記憶に自信はないが、その時の、守られている、心強い感じは良く覚えている。



でも、結局両親が学校に対して何かをしたのかしなかったのかは、知らない。僕はここを残念に思う。父親に、僕に直接事実確認をし、その後、教師に直接アピールしてほしかった。野球で、監督が審判にアピールするみたいに。僕に分かるようにやってほしかった。



でも、書きながら気づいたのだけど、「初雪が降った」と書いた日誌に教師が返したコメントについて、両親が知っていたかよくわからない。この事件の、子どもにとっての本質は、疑いをかけられたことではなく、このコメントだった。教師は明確に、お前を信じない、というメッセージを出していた。これについて両親に戦ってほしかったのだけれど、そのこと自体を両親に僕が言っていたか覚えていない。知らなかったら、両親としても戦いようはない。

疑いをかけられたことについては、帰り道に一人で悔し泣きをして、子どもだからそれで終わっていた。だから無邪気に初雪のことを書いたし、翌日返ってきた日誌の教師のコメント(お前には他に書くべきことがあるはずだ)を読んだ時、何のことを言っているのかよくわからなかった。しばらく考えて、手紙事件のことを言っているのだと気付いた時、頭を殴られたような衝撃を覚えた。悪意を込めて刃物で切り付けられたような気がした。はっきり覚えている。


この年の秋ごろから、なんだか自分が今までどおりではない気が強くしていて困っていた。さらさらと流れていた液体に、異物が混じって流れが滞ってしまったような、噛み合っていた歯車に何かが挟まってしまったような、今までスムーズだったものがなんだか急にうまくいかなくなった、でも原因は分からない、そういう感じだった。そういう時期は思春期ならだれでもあると思う。でも時間が経って俯瞰で振り返った時、この事件が、その時期を乗り越えることを決定的に困難にしたと思う。中2か3の頃、どうも中1の2学期の終わりごろから自分がうまくいっていない、でも原因がわからない、と思って辛かった。どうすれば抜け出せるのか分からなくて、手っ取り早く親に反抗していた。


大人になって、少年時代の下らないいたずらや失敗談などを、飲みながら仲間と面白おかしく話す折に、この話をしたことが何度かある。その時、僕は父が学校に、強硬に立ち向かってくれた、という架空の話を付け加えて話した。こういう心の動きは、今思うと哀しい。大昔の欠落感を、どうにかして埋めようとしていたと思う。


余談だけれど、その教師を嫌いなまま遅刻の多いぱっとしない3年生になって、ある朝、遅刻したために廊下に立たされていた。その時、学年主任が僕を認めて、どうした?と聞いた。それまでしゃべったこともないけれど、遅刻して立たされてる、と説明した。彼の頭の中でいろいろなことが巡ったと思う、彼は少し頷いて、僕をじっと見つめながら黙って頭をなでた。僕は、泣き出してしまった。この人は分かってくれている、と思った。この時の先生の優しいまなざしは、一生忘れないと思うし、その後思い出すたびに、こういう大人になりたい、と思うですよ。おわり。

先日、とうとう、きょうだい三人で会い、今まで話してなかった事を含めて、私の話を聞いてもらった。


ずっと、テレビが低音量でつけっぱなしにしてあったおかげで、適当に気持ちがそれて、


私が深刻になりすぎないのが良かった。

ニュースに最近注目されている政治家が何人がでていた。



兄は



「この人たち、嫌い。自分たちが倫理をふりかざして、偉そうに言うから大衆受けしがちだけれど、



自分たちは愛人問題をおこすでしょ。自分の身の回りの倫理もなってないのに、偉そうにいえないと思う」



優しく、まっすぐな兄らしいコメントだと思って聞いた。



そんな兄の思い出話。


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兄、中一の冬。


中2のR子ちゃんから呼び出された。「変な手紙を私の下駄箱にいれたでしょ。」


兄には覚えがなく否定したが、R子ちゃん親や担任の知るところとなり、担任に呼ばれた。


放課後、担任は、はなから、兄が犯人と決めつけて「どうしてそんな手紙を出したのか。」と


聞いてきた。兄は一生懸命に否定したが、疑いが晴れないことは明らかだった。


すっかり暗くなった下校の途中、兄は悔しさや悲しさでいっぱいだったと言う。


でも、まだまだ子どもだから帰宅してしまえば、なんとなく忘れて、テレビを観たりして


いつも通り過ごせた。その夜、初雪が舞った。「今日は初雪がふりました。」と


書いて提出した宿題の日記への担任からのコメントは


「おまえが今日書くべきことは初雪についてではない。


R子の件に関して反省はないのか。」だった。


その数日後、別の男子が手紙を出したことがわかった。


兄ではなかったのだった。




この一件は激しく兄の心を痛めつけたという。そこから全てにヤル気がなくなるのを


兄自身も自覚。成績は急降下。


兄は言う。


「あの時、親に自分のために闘う姿を見せてほしかった。」と。


担任が犯人扱いしたことを抗議してほしかった、と。


当時、内申書に響くといって、教師に物言えない雰囲気があったことは


さしひいてみても、親にたたかってほしかったという兄の言葉が


胸に響いた。私にも、息子のために闘わなかった苦い思いの一件があるから。



つづく








子どもを公立にも私立にも通わせてみて痛感するのは、問題を起こした子やその親への




バックアップ体制があまりに脆弱でないかということだ。








児童、生徒が問題を起こすと、学校は親にきてもらう。




子どもが自立していくまで、学校教育と家庭教育は車の両輪のようなものだろうから、




両者が話すのは当然のこと。




小学校のうちは、仕出かすことも知れているし、まだ、大人のニラミが効くから、




一見、事が収まったようになったり、問題への取り組みを先送りしてしまったりする。




小学校での問題先送りは、実は、とても危険なことだと思う。








中高になると、仕出かすことが大きくなり、進学もからんで、問題は急に深刻になる。




この時、親が呼び出されて、学校側がどんなに困っているか、家庭でなんとかしてくれと




言われても、時は思春期反抗期で、親もどうしようもない場合がほとんどだと思う。




家庭にどうしようもない問題をかかえている場合だってある。






私も何度も学校に行って話し合った。先生が5人、夫、私、息子の8者面談もあった。




大人7人 VS 中2一人




この面談の途中から息子は号泣し、私もハラハラと泣いてしまったが、先生は




「お母さんを泣かせて、お前は一体なんだ」と言っていた。




息子は後に、これはイジメと同じだったと言っていた。だれも自分の言い分をきいてくれなかったと。




先生や父親から正論を語られて、母親が泣きだしてしまっては、孤立無援だったのだろうか?




高校の担任は息子のことが大嫌いであることを隠さなかった。部活の顧問は息子を認め、ずい分かばって




くれたが、担任の意向は強かった。同じようなことをしても学校に残れた生徒もいることを思うと、




なんだかなあという気がする。










私の住んでいる地域のスクールカウンセラーは、公立だと一人で数校を受け持ち、実際に学校にくるのは




月に2日くらい。これでは、教師との連携も難しいし、親も子も、相談したいと思った時にすぐに対応して




もらえない。私立にはスクールカウンセラーが常勤していたが、教師との連携はできていないことが




多かった。中にはカウンセラーを毛嫌いしている教師もいた。自分たちにまかせてくれればいいのにと。




息子はスクールカウンセラーのところに自ら行ったりして、悩みを語っていたけれど、、




うまくいかなかったのは残念だ。中三の頃は、自分がもう一人いる死にたい、と言い出して、




ずい分心配したが、親のいうことを聞いて、受診するはずもなかった。




強制的に受診するようなシステムがあればいいのにと思ったものだ。










非行、不登校、または発達障害、何か問題がおこったときに教師と家庭だけで




解決しようというのは難しいのではないか。なぜなら、教師も家庭も専門家ではないから。




そこにカウンセラーや発達障害の専門家、場合によっては医師などがチームを組んで




より早い対応がのぞまれる。




また、親と子どもの間に第三者がはいることは両者の言い分を正しく聞くと言う点で




是非、あってほしかったシステムだった。


いろいろな専門家がそれぞれの場所で発言しても親も子も右往左往するだけのような気がする。





「トラウマ返し」

この本の関係者では決してないのですが(笑) 、読めば読むほど、考えさせられます。

しばらく前にこの本を読んだ時、スルーしてしまっていたページにまさしく私のことが書いてあると、

気づかせてくれたブログ友に感謝 !
非行のおかげで、これまでの育児を振りかえると、

どうしても自分はどのように育ってきたかというテーマにたどり着く.

特に最近、自分の親との関係を考えさせられる.


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以下要約



「感性の鋭い子」は周囲の大人の気持や期待に応え、それに合わせて行動し、

自分がしてほしいことを要求するのを自己規制するようになる。

素直な手のかからない良い子と誉められ続けるため、

ますます、周囲の大人の期待を感じ取るアンテナを張り巡らす。

親に愛されたい、かわいがってほしいという自分の気持ちを表さない.


つまり、「親の愛情をもらうのを辞退」しながら大きくなる。

良い子として、発達のつまづきにもかかわらず、年齢相応の行動をしようと

頑張り続ける。素直な良い子、であり続ける。


その結果、花が咲き、実がなる頃になって、茎が倒れてしまったり、


実がつかなかったりして、初めて肥料切れが表面化する。


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私の事だな~。この内容。

だから…と思い当たる事がいくつかある

周りの期待にこたえて、実際はともかく、良い娘、良い妻、良い母でいたいと思ってきたから、


肥料切れとなり、子どもの非行につながったのではないだろうか。

私が爆発しないから、かわりに子どもが爆発した…。


もろもろ辛くなります。






以前、このブログでも紹介したこの本。


最近、ぶろ友さんも取り上げて、とても考えさせられるので、再読しました。




トラウマ返し―子どもが親に心の傷を返しに来るとき/黎明書房
¥1,785
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つまずいた子は親の愛情を確かめようとするという章があります。

子どもがつまずいた時、4つの方法で、親の愛情を確認するために用いるパターンが

4つあると書いてあります。

4つのうちの一番目について、私はどうも心から納得できず、なかなか実行できないでいます。

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以下抜粋

その一番目とは

「親がどれだけお金を使ってくれるか」と書いてあります。

「買って」と要求される額はどんどん膨らんでいく。それは親の愛情を確認するまで続く。

確認できれば、要求はピタリと止まる。

~略~

「本当にかわいいなら、私のためにどれだけお金を使ってくれるか見せてください。今、

私は親からの愛情を深さを、それによってしか確かめることができないです。」と子どもは訴えている。

~略~

子どもが不安定な間は「金銭に対するしつけ」をするのは無理。

どれだけ自分のためにお金を使えるのか確かめずにはいられない。

気持ちが安定すると、だんだん浪費を減らせる。

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息子がまだ小学生だった頃、子育てについての講演会があり、講師の方が

全く同じことを言っていました。非行っこの息子のいうとおりお金を出したことが

立ち直りの早道だったと。

当時、自分には全く関係がないことだと思っていたのですが、

とても印象的な内容でした。

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本当だろうか?

気持ちよく出すということが、なかなかできない。

お小遣いをやりくりし、足りなければバイトでとどうしても思って、厳しくなってしまう。

でも、下の子には、わりと気持ちよくお金を出せる。

お小遣い帳を几帳面につけて、無駄遣いしないように気をつけているのをよく知っているから。

それは下の子は親の愛情確認をしなくても、大丈夫で、自分が満たされているから

できることなのだろうか?

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お金のこと、本当に悩ましい。


特に問題なく育ってきたせいか、若かりし頃、


「波乱万丈の人生を送りたい。」なんて周囲に言ってしまうくらい


世間知らずで傲慢だった。



当時、今からは信じられないくらい、今の学生さんに申し訳ないくらい、


就職活動は簡単だった。


私が選ぼうとする道を、母は大反対だった。絶対に絶対に嫌だと。


でも、どういうわけか父は、「何がいいかは分からないものだ。」と選択を私にまかせた。


確か、父の運転する車に乗っていた時だった。父が反対しないのが、あまりに意外だったのか


その会話をした坂道の風景まで思い出せる。


結局、母の勧める方向には行かなかった。


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そして、結婚し、子どもが生まれて、その仕事をやめて、ごく普通だったような気がする日々。


人生は、普通の日の積み重ねのようでも、この年までくれば


肉親の死、友人の死、または病気、いくつかの非情なできごとにたちあわなければならない。




一番の「波乱万丈」を提供してくれた息子の非行。高校退学。


考えざるえない自分の価値観…学歴や職業。


試され続ける親としての覚悟…信じ続けられるかということ。


ついていけない時代の変化…携帯、お気楽な外泊、24時間営業の大人にとって便利なお店に

                   子どもも出入りできる怖さ。


見つめざるをえない自分のこと…生育歴、親との関係、自分のささやかな歩み。


それから直面する夫とのこと。


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だれか、生き生きと部活に励んでいた息子を返して。


毎日、元気よく学校にいっていた息子を返して。


友達からも先生からも人気者だった息子はどこへ行ったの?




こんなふうに思っているうちはダメなんだろう。


望むような穏やかで静かな生活は誰かに期待するものではなくて


自分自身で獲得していくもののような気がする。




25時。息子帰宅。これを待って入眠剤をのむようでは、まだまだ道は遠い。


明日からは、息子に関係なく、22時には服用しよう。


まずは私が元気でなければ!