恐山は、下北半島の中央部、青森県むつ市にある庶民信仰の霊場だ。
天台宗の開祖・最澄(767~822年)が開いた比叡山(滋賀県)、真言宗の開祖・空海(774~835年)が開いた高野山(和歌山県)とともに 「日本三大霊場」 にも数えられている。
「恐山」という名は、伝説で開祖といわれている天台宗の高僧・慈覚大師円仁(794~864年)が霊山一帯を 「鵜反山(宇曽利山)・・・うそりやま」 と名付け、それが 「おそれやま」 → 「おそれざん」 と呼ばれるようになったという説と、アイヌ語で入り江を意味する 「ウショロ」 に由来するという説がある。
しかし、同地に恐山という名前の山があるわけでなく、恐山とは、カルデラ湖である宇曽利湖とそれを囲む外輪山(鶏頭山、地蔵山などの8峰)一帯の総称であり、また、宇曽利湖の北岸に位置する 「恐山菩提寺」 (本坊は曹洞宗円通寺)という寺院の山号ともなっている。
恐山菩提寺の境内には死者を供養する場がいくつも設けられているが、「骨堂」 「賽の河原」 「地蔵堂」 と呼ばれる場所が特に参拝者の信心を集めている。
「骨堂」 は、分骨された骨をおさめる塔で、浄土の入口とみなされ死者の極楽浄土を願う納骨者が後を絶たない。
「賽の河原」 は、死んだ嬰児があの世へ渡る途中で通らなければならない河原とされ、嬰児の母親たちは、子供が地獄で鬼に責め立てられても、地蔵菩薩が袖にわが子を隠して鬼から守ってくれると信じて 「賽の河原」 の 「地蔵堂」 に参拝する。
「賽の河原」 にはほかにも 「慈覚大師円仁坐禅石」 「八角堂」 「大師堂」 などが置かれている。
恐山菩提寺は死者の安寧を願い、あの世へと送り出す入口のある霊場として信仰されてきた。
現在では 「恐山=イタコ」 のイメージが強いが、それも恐山菩提寺が現世を生きる人々と死者の世界の接点とされたためと考えられている。
恐山のイタコは、供養に訪れた人々の依頼に応えて死者の霊を自らの体に憑依させ、依頼者と対面させる 「口寄せ(仏降ろし)」 を行う巫女である。多くは盲目か弱視の女性が巫業の作法を修得し、霊界と現世との橋渡しの役目を担うのだ。
また、イタコは恐山に常駐しているわけでなく、毎年7月20日~24日に行われる 「恐山大祭」 の際に山で参拝者を待ち、口寄せを行う職業霊媒師である。
イタコは江戸時代から東北各地に伝わっていた習俗で、当時は東北各地に存在しており、現在でも青森県五所川原市で開催される 「川倉賽の河原地蔵尊例大祭」 などでは口寄せが行われている。