僕は今死にたいと思っている。この先の危うい、殺伐した世の中で僕は器用に生きる事など出来ない。僕はただしんどい。だけれど死ぬ勇気もない。意気地なしが。ブログのフォロワーもすごく減った。もう少し明るくなれたらな。僕はリアルではユーモラスな人物として轟々たる印象を与えている。一人暮らしの男は寂しいものだ。僕は長身女性の彼女が欲しい。175cm以上が良い。自分は平均なのに身の程知らずだとほとほと思ってしまう。僕は頑張って生きている。生きているだけでありがとうとか、仕事をするだけで同病の人々に偉いと言われる。

 僕は何をしているのか。母親はコロナかも知れないのに僕は冷房のきいた部屋でスマホをいじっている。僕はスマホを高校生になってから親の庇護、扶養で与えられた。僕はそこからずっと視力が落ちていった。僕はどう頑張れば統合失調症になれずにいれたのか。狂気の虜、熱狂になる事で僕は自らを幸せになる訳にはいかないと、自分自身をいじめぬいた。次第に周囲も僕に辛辣な扱いをするようになった。僕には両親がいる。祖父母もいる。兄弟も。僕の家族は小柄だらけだが僕は平均だ。

 フォロワーが減った。それが僕を苛ませる。僕はなんてちっぽけなことで懊悩しているのだろう。身長は30歳まで伸びると訪問看護の職員が言っていた。僕はその言葉を信じたい。

 僕は京都に来てから精神が蝕まれ、非常に寂しい思いをしている。統合失調症で、何もない青年だった、僕は。僕は友達を作る事も出来ず、SNSも交換できない話し相手もいた。一目惚れをしたがこちらからはアプローチ出来なかった。そもそも用もないのにどうナンパすれば良いと言うのだろう。僕は今後臆することなく未来を受け入れたい。現代では自己愛が幅を利かせている時代だという御仁もいる。

 思春期は統合失調症により形骸的なものとなった。高校を辞めるなと言われた事を健気にひたむきに墨守し、僕は何とか全日制高校を卒業した。

 統合失調症の上級者には10年経つ僕より統合失調症の経験が多い人がいる。そのベテランは統合失調症は治らないと言われた。僕はそれにより心苦しさを感じた。

 また外に出るのは秋とか春とかが良い。今の京都は蒸暑すぎる。しかしフォロワー、フォロワーねえ。小説は書く気も起きないし、やっぱり平素は激しい喜びを追い求めず生きていくのが正解だと状況が意味深に僕に教えているように思う。フォロワーが200人行けば良いのだが、僕自身にそれほど他人の琴線に触れるような、感銘を受けさせる事は出来なかった。

 これまで現代科学が長足の進歩をしたにも関わらず人間の労働時間はにちっとも変わらない。僕は現代社会に辟易し、愛も冷えてしまった。非力さがある。これまでそれを認めたくなかったから多くの事を成し遂げてきた。それでも僕は何も変わらず、惨めな現実が茫漠に眼前に広がっているばかりである。

 死にたいという気持ちはこうやってジャーナリング的な事をしていると漸次的に弱まってきた。僕は死ぬ事が禁忌だとは思っている。死ぬ事でこの無限の悲哀に終止符を打てるのなら。しかしそれは独善的かつ生々しすぎる。

 僕は前衛的な作品を怒涛の如く、破竹の如く残していった。また関係ないが僕は年上から見たらかわいいと言われた。年上の長身女性からもかわいいと思われれば嬉しい。今の膠着状態を是正するには恋愛しかない。恋愛。未だに僕は恋愛経験皆無である。チャンスはあった、しかし、悉皆失った。統合失調症の急転直下で僕はもはや人間ではなくなった。僕が阿鼻叫喚の中で生きてきた中で唯一真実らしく思えること。それは一切は過ぎていくということだ。

 天才だと思う事は精神を腐敗させ、滅亡させる。ローマ帝国の滅亡のように。僕はどうやら死に憧憬している節がある。

 これまで多くの若者が満身の、砕身の勢いをもって自らの生命を常闇に投げ出していった。僕はこれからも懸命にいきる。その姿が人を魅了する骨子になるのかも知れない。死にたいから始まる雑駁とした文体の錯綜と恍惚、そして半ば深刻な痴呆。僕の脳はもうオワコンだ。もう立派な文章と名高い文章は書けなくなった。僕には恋愛が出来た。異性からのアプローチもあった。しかし僕は長身女性に至上の安心感を感じる。僕のブログの読者に長身女性がいるだろうか。まあそれはあまりに馬鹿げだ幻想だ。

 現実が上手くいかない事にも僕は失意を感じている。僕は多趣味だ。他人を喜ばせられる才能も随一のものがある。と勝手に勘違いしている。