僕のこのブログ、しばらく更新していなかったのもあってかフォロワーがかなり少なくなっていた。しかし少数でもファンがいれば僕は嬉しい。僕はもっと簡単な文章で注目を浴したい。晦渋な表現は物好きにしか受け入れられない。ここまで僕の語彙力を駆使して、論理の破綻も織り交ぜ、虚実も入り混じりつつ発信を続けてきた。長すぎるのも良くない。しかし人気になる為に個性を捨てるのか?自分の命を削る個性ならいらない。僕は生き延びる。ある意味ジェットコースターのような発信を僕は今まで享楽してきた。虚実入り混じる発信は閲覧者の知覚を攪乱させる。真面目に読めば読むほどそのナンセンスさ、歪さは一目瞭然である。また僕は今日訪問看護と会話の練習をした。僕は今日は交流に窮すると思っていたが畢竟そうはならなかった。もっと読み手がワクワクするような意匠を目指したい。これから先、僕は社会に阿る事も辞さない構えだ。これを読んでいるあなたには本当に感謝してる。迷妄の世の中、注意不全の眼前からなす事もなく消えていく作品かも知れないのに読んでくれる。統合失調症としての特性を重視した作風ももはや限界だ。この世を見渡せば、狂気を作品の爛熟した主軸にしている人間は腐る程いる。統合失調症の当事者でなくてもその意図を、汲み取る事が出来る。狂気とは無意識的に普遍的なものだ。ユングも言っていたが集合的無意識かも知れない。
また僕は今日久しぶりに喫煙をした。禁煙をする事でタバコが美味しく感じるという俗説を試そうと思ったからだ。でも、やっぱり疲れて来たな。ブログ活動もそこまで熱中する程の価値はないかもしれない。ネットへの闖入はネットからの懐柔を是認する行為に等しいと思う。どうか僕のファンが僕に親しんでくれるように。僕もまた人間関係に未練がある。未練があるからこそ、創痍の、狼狽の魂で多少無理をしながら字を書いている。僕の言葉の意味がよくわからないのならそれは僕の落ち度だ。僕のエゴがもしかしたら前意識的な効果を文章に及ぼしているのかもしれない。宮沢賢治も生前は無名だったらしい。個別的例外に身や期待を委ねるのは滑稽な事だが僕にはそれをする以外に、興味のあるものがない。またかつて薫陶を受けた字句、その一字一句が僕の滾る知性になっているのは事実だ。あまり長々と書いていても文字量とその誤解と無知に圧倒され嫌忌の温床となる可能性もあるので今はこの程度の発信に留めておく。地味な活動における目標の達成は日進月歩であり、一朝一夕にはいかないのが通常である。恐縮ながら、臆面もなく通暁したような事を断言してみる。