僕は昔から奇想天外を崇拝していて歴史上の椀飯振舞であるシュールリアリズムにも興味を持つようになった。僕のプログレッシブツイストは程度の差こそあれシュールリアリズム的である。苦痛に満ちた現実から乖離した別種の苦痛を僕は求めていた。芸術は欧米が主人公で日本の芸術は今日でも辺縁の亜種だと思われているのだろうか。また僕が書きたいような小説を書いている人もいた。それはカフカである。彼自身は自分をシュールリアリズムの人とは自称していたかどうか分からないが、僕は彼の作品に触れる度に記憶の奥底にある既視感に触れる。これは安部公房でも同じようなものを感じた。高校の教科書に載っていた安部公房の良識派という作品に僕は非常に身震いした。彼に対しては様々な毀誉褒貶があったりするが、僕は彼が好きであった。まあ文学的な愛好度、固執で言えばカフカの方が上である、僕の中では。

 僕は高校時代、自分と同じく幻聴を聴いていると思しき高校生と心療内科の待合室にて出会った。彼女は僕を認識していないので当然相互の阿吽の呼吸はなかった。僕の高校時代については何度もしてきたので割愛。

 物書きとして活動し始めたのは辛酸を極め、可能な限りの文書への検閲が終わり、精神的に爛熟した後であった。文学賞に応募したりもしたがやはり一般的な評価は受けなかった。頑是なさか、頑迷か、技巧の欠乏か。僕は友達にはりょうがの書く文章は独特だからそれなりの栄誉は受けそうだと言われていた。今も独特な文章を書けているだろうか。狂気と正気のサラブレッドである僕を。まあこれは反語である。

 僕は本当にクリエイティブな活動を行っている。リードギターの練習は一日で飽きた。しかし僕は多趣味だ。きっと趣味の合致する人がネットにもリアルにも大量にいる筈だ。僕は視野狭窄でその存在を認知できないだけだ。また僕は統合失調症の症状に翻弄される時期もあった。

 好きだったアニメも続々と最終回を迎えている。クールジャパン、アニメの勃興期はまだ続いているのか。またタイトルに回帰するようで恐縮、僭越だが僕はアニメにはもっとシュールリアリズムの錚々たる精鋭、気鋭の出現を期待しその先駆的な存在を応援し、その潮流と滾る生命に拍車をかけたい。今の日本は経済が壊滅的だ、民衆に出来るのは投票とそれ以外の東奔西走である、などと僕は臆面もなく言及出来る立場ではないが。僕はより良い未来を信じたい、読者との絆も信じたい、人生の明るい面を信じたい。僕は未だに人々を牽引する辣腕に憧憬している。シュールリアリズム、もう時代遅れの概念だろうか。僕と同じような感受性の、ニッチなファンだけがそれに着眼しているのだろうか。僕は極めて近視眼的恣意に耽っているだけなのだろうか。また自由闊達に生きるようになれた事で僕は強さの本当の意味を知った。非日常的、超現実的な世界に逗留し没入し、悦に入る。仙人の来駕も待っているだけじゃ始まらない。受け身では馳走を享受することは、享楽する事は出来ない。また現実は不愉快なものもある、齟齬があったり、曲解したり、周章狼狽したり、特に日本は迷走している感も否めない。歴史上の泰斗、先達の書物を拝読しても今は無駄である、そういう修行を散々した挙げ句、今の自分がある訳だから。もうその一里塚は終わった。