僕の心には何の意匠もない。精神的には裸体である。また僕は昔大学教授に「君は頭いいから理解力は高いが、言葉で何かを表現するのは脆弱だ」と言われた。僕はそれを尻目に物書きになった。彼から言わせればもっとも向いていない事に東奔西走しているように思われたのだろうか。また最近日本には外国人が増えた。僕と同じマンションの入居者にも外国語を話すアジア人が見られる。得てして国際化の余波は日本にも及んでいるようだ。外国人が跳梁跋扈する事で国としての機能が果たせなくなるのは問題なのでその辺りを国民が一丸となって上手くかじ取りをしていかないといけない。それについての僕の方策?僕の意匠?何も思いつかない。これは僕が塵芥である証左だ。僕はギターの練習もしなくなった。もう大体弾けるようになったから。リードギターが弾ける、何てクールなのだろう。僕は病気でもやれる事はあると思う。ちっぽけな存在、産業廃棄物でも生きられている。その社会に感謝だ。また周囲の温かい目にも感謝だ。僕は自己懲罰的な残滓はまだあるのだがそれでも昔と比べればかなり程度が収まってきた。昔は大変だった。受験どころではなかった。心の治療を専ら優先していけば良かった。でも僕は強がって生きていた。誰にも阿諛追従しなかった。僕は苦悩する自分はかっこいいと痴呆にも似た感性的陶酔を含蓄した、いやむしろ横溢した人生を送っていた。それは僕の一里塚である。神にも仏にも拝跪するものか。

 僕は努力に努力を重ね、数限りもない、際限もない能力を涵養させた。あらゆる経験は糧となり、僕の血潮をより一層上等なものにした。また僕は恋愛もしたい。その為には外に出ないといけない。引きこもってばかりでは誰も手を伸ばしてくれない。しかし最近は梅雨入りしたと聞く。折しも僕の心も意気阻喪中である。僕はこのブログを今後は平易で簡潔なヘミングウェイのような文体にしていきたいと思っている。読者の都合を斟酌し、諧謔で大いに体臭を沸かせ、その破顔した顔を見たい。難解な、或いは珍奇な文章で他を圧倒してはならない。そのような形式ではカルト的な人気は得ても人口に膾炙するような人気は得られない。その時こそ僕は正真正銘の生の実感を得られる。僕には矜持があるのだが。これも加齢とともに弱まっていくだろう。全てが後退していく事、それが歳を重ねるという事だ。僕はイケオジになれるだろうか。僕は若い時分より年老いた自分にこそ美を発見する。真の男の魅力は還暦を過ぎてから露呈されていくものだ。

 露悪的な作品や随筆も僕は大量に書いてきた。その中には傑作もあれば粗悪品もある。僕自身は綿密に計算し、理性で持って闖入した世界をもっているタイプの人間ではない。しかし僕は誰かに元気になって欲しい。このブログを読んでくれている、プログレッシブツイストを触れている人々に。様々な発想や着想を強引に輸入し今の僕はある。ゆめゆめ忘れてはならない。どんな人でも一人では世界を変えられない事を。あ、やはり意匠は僕なりにあるのかもしれない。