貪欲であれ、とは故スティーブジョブスの警句である。僕の人生は数奇なものである。その経験はこのブログで何度も饒舌に語ってきた。しかし同じことを続けるのはナンセンスだ、どうしたものか。僕の家に今日ヘルパーが来る。今日はどんな料理を作ってくれるのか。買い物には同行する予定だ。僕は人間関係にもっと貪欲であるべきだ。多くの人と懇ろな関係になり、特定の場所に足繁く通う。僕はもっと活動的になりたい。僕の母は活動的で、LINEの返信も遅い。また僕は自らの健康の為に歯磨きは丁寧に磨く事にしている。歯は大事だからな。ジョニーロットンというイギリスのアーティストは彼の歯が非常に不衛生なのをバンド仲間に発見されて「腐ってる!お前の歯腐ってる!」と言われたのがロットンという名前の由来らしい。僕は彼のようにはなりたくない。そう言えば昨日鬼滅の刃があった。柱稽古編、もうそろそろ終わりそうな予感である。僕はアニメを享楽出来ている。良い大人になってここまでアニメを見る事になるとは思わなかった。貪欲に色々なmのを吸収する事が大事だ。昔の中学時代の塾の先生も僕はスポンジのように吸収力があると言った。県内随一の学校にも行けるかも知れないと。しかし僕の母がそれを言ったのは随分後になってからである。もし当時母がその事を僕に言っていたら勉強のモチベーションも上がったかも知れない。まあ運命に呪詛も縁さも必要ない。往々にして人は過去を思い、苛まれるものだ。僕のこのブログ、どれだけの人に見られているかは分からないが今の僕はカフカの生前のようだと思う。一部の人にしか理解されず、ほぼ無名。僕の作品は最近読んで気づいたがカフカに近いものがある。彼の作品を読むとまるで自分の作品を読んでいるような心持がする。

 昨日祖母と話した。ちょっとくらい歯ぐきから血が出るのは正常で、歯医者に行く必要もないらしい。僕は安心した。僕は今現在、よく生きていると思う。人と意思疎通をして、定期的に外出にも行けている。幻聴も皆無だ。僕の文章に僕は昔ほど大量の語彙や言い回しを導入する事は禁じている。人々は小難しいものでなく、清澄で、簡潔で、分かりやすいものを一般に重宝するものだ。村上春樹も文体はそれほど豪奢ではない。瀟洒なものだ。しかしそのストーリーの面白さ、したためた文章が人々の大きな支持を集めている。読者自身の好みや造詣が彼の作品を良きものにしている、そして礼賛しているのだろうと思う。僕は彼について無味乾燥な美辞麗句を言わない。だって彼の作品はそこまで感銘を受けたり、薫陶を受けたりしていないから。僕が琴線に触れるのは長く読み継がれてきた古典の傑作である。

 僕の性格は静謐なものである。少なくとも僕自身はそう思っている。この世に不満がある訳ではない。刺青に順応しようと僕は高いプライドや夢を捨てている。それで良いのだ。僕はまた一段と大人になった。今年で僕は26歳になる。いつまでも親族に媚び諂うのは格好が悪い。人生が濛々とした中でも僕は明るく前向きに生きたい。生きる事は難しい事である。生きていれば厭世、虚無、虚脱、失意、絶望に見舞われる危険性が誰にだってある。実際僕も15歳になるまでは明るくて何も悩みがなかった。