僕は呼吸をするかの如く文章を書いている。僕の固陋な頭で書く文章などたかが知れてる。昔の幻聴を聴こえていた僕は周囲を睥睨し、眉間に皺を作っていた。僕にとって人生とは統合失調症によって惨憺たるものになった。ことごとくの不幸を蝟集して、その時の僕はいた。また僕は裸眼トレーニングをしている。パソコンを眼鏡なしで使用している。僕のコンテンツは粗悪品なのか。確かに毒にも薬にもならないものだ。今の主治医は慇懃さとはまた別の性向を持っている人だ。僕は昨日酒を飲んだ。強制的陶酔で僕は恍惚とした。今の僕は依然としてあまねく知れ渡る偉人になりたいと思っている。しかしこれは大仰すぎる、身の程知らずの願いだと思っている。僕は本当にこれまで頑張ってきた。記事のタイトルと内容に乖離があるだなんてことも日常茶飯事だ。僕は本当につらい。一人暮らしとはそういうものだ。僕はどうしても文章で寂寥感を少なからず雲散霧消しなければならない。模糊たる現実において何か自分にとっての日課を続ける事。それは僕にとってブログだった。僕はもうギターが嫌になった。精神科デイケアに行けばそうではなくなるかもしれない。その一縷の望みにかけてみる。

 僕の文体はヘミングウェイを参考にしている。またそう言えば統合失調症の芸術家はまだまだ世間には知れ渡っていない。統合失調症の知能指数は病前より低くなる事が多いが、その仮借ない病苦の中で負けずに生きて、数限りもない功績を成し遂げたり、滾る血潮で色々な人間関係を築いたりする事もある。今の僕も普通に会話が出来る。ただ人を楽しませるコメディアンにはなれていない。僕はもっと面白い事を言って、人を笑顔にさせたい。僕はこういうところは芸人気質なのかも知れない。ネット文化の台頭で、昨今ではテレビでは金を稼げなくなったのか、その辺の事情は分からない。きょうび、人は多様化し、笑いのツボも千差万別である。僕は最近は外に出ていない。今週はよく外に出た。その反動なのかも知れない。ベッドで仰臥したりゴロゴロしたりする時も多い。僕は昨日酒の入っている状態でカフカの短編集を読んだ。カフカの自己評価が高かった短編集だ。カフカは自作に冷淡であり、生前は一部の人にしか評価されず、ほとんど無名であった。その点では僕と同じだ。僕は自分の本を出したい。しかし人気もない。

 またグループホーム入居し始めた時は歓迎会で椀飯振舞をされたりもしたが、結局あの場所は一年もいなかった。僕は時代の寵児になれるのか。しかしこんな尊大で、誇大な自分は捨て去らないと。夢なんて捨ててしまえ。夢などあるから困憊してしまうのだ。今日も僕の呼吸が読者に届けば良いな。自分の脳内の血液が迸り、前頭葉は怒張する。うん、今日も悪くない日だ。