まず統合失調症を度外視して僕という存在を鳥瞰図的に見てみる。物書きとしてこれはただちにやらないといけないと思ったからだ。僕は快活で愛嬌の横溢する少年だった。倨傲なところもあったが平均的な範囲であった。僕は泰平無事だった、受験の圧力かあるまでは。したがって受験が僕を狂わせた。無論それ以外にも複合的なファクターはある。勉強への熱が引き、虚脱感に苛まれたりした。おっといけない。僕は幸せだった時期を見るのだ。僕は恐れを知らない戦士のようであった。自分は無敵で精神病などとは無縁の存在で、精神病の概念は僕とは隔絶したものに思えた。広範に自己啓発書も耽読した。名言の数々が僕に敢然たる勇気を与えた。尚も悠然と、僕は生きていた。小学時代は勉強は嫌いだった。中学では勉強が突拍子もなく面白く享受していた。もし適切な休憩や悩み相談を経れば僕は高校での勉強も享楽出来ていた事だろう。 僕は可愛いと言われ主に年上の女性にモテた。同年代の女子からもラブレターをもらった事もある。これは元来僕の顔面が端整で甚だしく才能が炸裂していたからであろう。僕はスクールカーストで上位だった事もあった。しかしそれは人気者に付和雷同していて、調子に乗っていたからだけで、何も個人の実力で立派な玉座に鎮座できていた訳ではない。僕はどこで間違えたんだろうか。ネガティブや、悲観主義は汎用性の高い日本人の血潮が迸っている限りはそれを中枢に据えた懶惰無頼の発信が人を敬遠させる事は必然である。 

 僕は言辞を誇張する癖もある。しかし今回の記事ではそれは控えめである。僕は人として愛された事もあれば、友達として愛された事もある。今の僕はすっかり人付き合いが不得手になった。すぐ失意や悲嘆に暮れたりしている。僕は統合失調症発症以前よりも明晰になったが、同時に傷つきやすくなった。したがって得たものもあれば失い、阻喪した部分もあるのだ。独立独歩にやっていくには今回のように変化球も必要だろう。同じような記事が大挙したとしても読者には閉口される事不可避だ。苦笑を禁じ得ず、僕は本当に惨憺たる恥辱を、呪詛を凝縮した人間に感じるかも知れない。誰にも忖度しない、この瑞々しい僕という存在。昔からそうだったのだ。統合失調症は軽挙妄動、恣意を生み、僕を撹乱させたが、僕は統合失調症を好敵手だと思わず、のみならずそれを過剰に尊重することもしない。統合失調症は名誉あるものでも勲章でも何でもない。ただの疾病だ。