僕は統合失調症になる事で精神構造的にも、風采でも変身をした。フランツカフカの作品に変身があるが、仰天や絶望感、周章狼狽では確かにあの作品は統合失調症の急性期に値する感覚だ。僕は読書は普段、感性で読む。したがって傑出した批評文や懇切丁寧な説明は不能である。しかし今はまだ爆弾を抱えた、具したままとは言え、自分なりに自分の人生を統御している。統合失調症は想像性という側面では多大なエネルギーをもたらした。そして僕には精神障害を端緒とした全ての障害者への理解が備わってきている。まあでもそれ以前の僕の記憶が反対に希薄化されている。知覚が攪乱され、堕落した後は絶望するばかりで、楽しい記憶を度外視していた。僕は悲劇の人物でないといけないと思っていた。有名になりたいと思いながらまた、有名にはなりたくないと思うようになった。僕は善良な人々が幸せになる事を望む。そして僕が家族を持って子供を作った後に子供の平穏無事、無病息災を祈る他ない。僕は多くの刊行された本を貪り読んだ。質の低い読書だった。統合失調症になると障害を抱えているというハンデを吹き飛ばし、地面を蹴立て、躍り出る精神的気丈さ、威光を放つアドバンテージが必要だった。そして変身してその後どうなったか。僕には統合失調症の同志がいる。現代の技術的刷新により、様々なコンテンツが台頭し、様々な価値観が勃興した。僕はどのようにすれば一番自分らしいか分からなかった。いつも慄然、驚愕とし、激動騒然の社会を生き抜ける剛勇無双さを得たいと望んだ。望むばかりではない。僕は言行一致の男だ。様々な事に手を出してきた。そしてそれらは一部の人々に評価されている。まあほぼ無名だが。僕は前衛芸術家として、そして統合失調症として立派な存在になれたと思う。弛まぬ努力の結実である。

 僕は健常者から逸脱してしまった。芸術の側面においても多大な貢献をした。後塵を拝する人々が出てくる事を祈る。僕のプログレッシブツイストという発明は歴史的に見て特筆すべき、革新する、パラダイムシフトである。これは一朝一夕に出来たものではない。また少年期特有の瑞々しさの残滓を幅に利かせ、頑是ない審美眼で数限りもない霹靂たる表現を僕は継続し続けた。僕の芸術の源流にはべてるの家やネット上の匿名の人物たちが多大な貢献をした。僕のこれまでの諸活動の奔流、それは若々しさの象徴的表現だったかも知れない。

 僕のようにならなくても、またなっても、障害を抱えて生きづらい思いをしている人々に心からの共感を示す。僕も斜陽しすぎて同じ学校における学年の生徒に「終わってんな」などと軽蔑され、嘲笑された事もある。僕は最近話の勉強をしている。声優のラジオもそうだが他の人の話に傾聴し、そこから学ぶべきポイントを見出そうとしている。

 僕の縁故のある人物の誰よりも僕は巨大な体躯を手に入れた。この間和歌山に帰った時も「あんた本当でかくなったなあ」と簡単句を言われた。結句人生における成長の精髄を僕は味わいつくしているのかも知れない。それ故僕は変身を遂げたのだ。カフカの言う変身の卓越さ、辣腕ぶりには脱帽だ。カフカは20世紀文学の巨人と言われるだけある。また僕は21世紀の最高賢者になりたい。破竹の如く発信して行く中で一群に嫌忌されたり、何らかの意欲を惹起させていく事をこれは妄想カモ知れないが僕は眼前にしてきた。僕は成功経験さえ蓄積させれば御の字である。僕と同じ統合失調症のグループの人々は非常に和気藹々としていて深刻な事はあまり話題に上がらない。僕を含め大多数がロム専である。精神障害でも口の達者な人々はいる。無論軒並みそうである訳ではないが、昨日の精神科受信ではハキハキとした気丈な物言いで精神科の受付のスタッフと会話をしている背骨の曲がった壮年或いは老年女性がいた。僕は二か月分の向精神薬を処方して欲しいと要求を呑んでもらおうとしたが、それは流石に官僚的な弊害が発生するらしくやんわりと断られた。我が国に導入されている精神医学の理論は空理空論ばかりであるのか、その内部がどうなっているのかは分からない。医学の本も一般に敷衍されたものしか読まない。分子生物学的な事や化学的な事なら僕は門外漢なのでそうした記述がある刊行書物には白旗を上げて退散する。僕も衆愚とは無縁ではなく、僕の諸活動も粗製濫造、曲解、齟齬、不和軋轢、乱暴狼藉、諍いに横溢した何らのリリシズムもないものであっただろう。僕は今も昔も前衛芸術家だ。それを発掘し、発見する人々がいれば良い思う。拡散、愛読、翻訳の程、読者には何卒お願いしたい。僕だけがこう安楽椅子に座っているようでは情けないが、まあ僕は障害者だからね、ある程度の庇護や寵児然とした扱いはあってしかるべきだ。僕が薫陶を受けたと言うか感銘を受けたと言うか、心の琴線に触れた情報の多くは書物よりも21世紀ではネットからのもの、ネットを土壌としたものが多い。僕のこの半生は何らかの寓意画あるような、寓話のような気がする。その意味でカフカの使用した作風に近いものがある。

 僕は今現在誰との確執もない。今の僕は完全に泰然としている。ブログはオワコンか?30代から40代の主婦が主要な層になっているらしい。若い連中はSNSや動画サービスに参入闖入しているが。僕の晦渋な吐瀉物、サルトルは嘔吐を書いたがその中での吐瀉物に言及があっただろうか。僕はその辺りを仔細に検閲してはいない。また高校時代の精神科医は今でも健在だろうか、あの好々爺、彼は僕に海外に行けと言った。統合失調症でただでさえ精神が不安定なのに海外に出れば枚挙に暇がない程障害が生じるだろう。僕は今でも森羅万象において諸手を挙げる事はしない。僕には不快な事、精神的にしんどい事がある。無理なら逃げるべきだ。艱難なら足掻くべきだ。僕は今仕事をしていない。そしてこんな駄文をネットの一隅に書いている。それに目くじらを立てる人もいるだろう。しかし大抵は僕の事を雑魚だと思って相手にもしない筈だ。僕の自己評価は安定しない。僕に対して重箱の隅をつつく人々、揶揄する人々、罵詈雑言で攻撃する人々もいる。そんな人々の影響を受けて、他人の目に戦々恐々とするようになった。悪罵が何だ、糾弾が何だ、僕は豪傑でなければいけない。今回の記事は3000字を目標に書いているので集中力の欠乏している御仁には若干トレーニング染みたものになるかも知れない。小説や詩でもそうだが。

 僕はまともな創作はしていない。こうしてエッセイを書いていく上でも何度も重複する事がある。まあそれでも統合失調症として随一の男になれば幸甚ではある。四分五裂で滅茶苦茶な男だ。だからこそ痴呆とも言えるかも知れない。僕から見ても訳が分からない事を長広舌で、炎のような弁舌でまくしたてる人もいる。健常者から見た僕も同じようなものなのかも知れない。

 また僕は一時期エロキャラでその貪婪さを演出していた。そのせいで余計な誤解や生きづらさ、人間的な不和を辛酸の如く味わい、呻吟するようになった。また今は僕は母から放縦に生きる事を咎められたりしている。また剣呑な事に対する危機意識も統合失調症を発症した後の僕にも残留している事を大変恐悦、恐縮に思う。

 僕は不条理性はカフカから影響を受け、語彙的な知悉さでは芥川や三島から影響を受けた。しかし誰が誰から影響を受けたなどという議論は実に下らない上皮だけの愚にもつかないものだ。僕は社会のルールに盲従している節もあるが、芸術や学問においては自由闊達である。獅子奮迅に今後も生きていく。僕は言語の東奔西走において、戦闘態勢を維持できるようになった。僕は闇の深潭に沈むのではない、懈怠に絡めとられて夭折する訳でもない。まあここまで読んでくれてありがとうございます。読むの疲れたでしょう。でも僕は僕の読者の皆の事を心配し、応援し、絆を感じている。僕らは一蓮托生だ。さてこれにて擱筆。合掌。