僕は人から話し上手だと言われる。自分では普通に話しているつもりだが。それがこのブログにも表れているだろうか。小難しい言辞や複雑怪奇な表現、密度の濃すぎる表現では駄目だ。見る者を圧倒させないものでないと。僕は文章的にはヘミングウェイのように簡潔なものにしようかと思っている。僕はネットでも好印象を持たれたい。そしてフォロワーを劇的に増やしたい。これは非常に大仰な目標だ。僕はそんな大きな目標を立ててはいるものの、それほど切迫感はない。僕は中学時代までは明るい性格であった。その頃より僕は理知的になったし、更に明るくなった。統合失調症という障害もあるが最近では働けないこと以外では特段不都合を感じていない。精神科デイケアを利用しようかとも僕は最近思っている。ギターの練習をデイケアでしようかと思っている。まあ今回の記事のタイトルは話し上手である。それに沿った内容でなければいけない。しかしタイトルとは表面的なものである場合も僕の場合は多い。ちょうどアーティストのアルバムタイトルと同じ曲がアルバムの中に収録されていないのと同じ事である。難解さなど必要ない。難解さなどなくても人気者は人気者だ。変に難読漢字や、哲学に傾倒し、それらばかりに横溢した文章を書いていてもいつまで経ってもフォロワーは増えない。如何なる饒舌の持主であっても、何らかの力を借りなければいけない。博識、衒学、ポップさ。僕はもう少し既存のコンテンツに阿る事、阿諛追従しなければいけない。自嘲的に何かを書くのは結構だがそれに飲まれてしまってはいけない。多くの書物を繙いてもそれに消化不良を起こし、留飲を下げる事が出来なければ何の為のコンテンツだろう。

 こうしてダラダラと文章を書いていても意味がない。僕はそれよりリアルを充実させないといけない。妄想の中では王様でも現実では落伍者。僕はその両極端の幅を縮めなければいけない。しかし自覚しているだけ軽度なのだろう。僕は日曜に鬼滅の刃を見た、面白かった。夜11時15分からテレビでやっていた。また引きこもりも卒業出来つつある。僕は用があれば外に出かけるし、人にも温和に接する。今まで僕に恋人が出来なかったのは僕の恋人への要求が長身美人に限定したものであったからなのだろうか。それとも単なる偶然なのだろうか。話し上手の精髄を、醍醐味を、魅力をもってすれば恋愛なんて造作もない話だ。あとは積極的に人と関わっていけば良い。