昔は文章が霹靂のような存在感を放ち、表に出てきた。そして1000記事を突破した。しかしまだまだフォロワーは少ない。お願いですからフォローしてください。今フォローしている人は引き続き応援をお願いします。僕はもう書く事がない。全部出し尽くした。筒井康隆と同じだ。何かを書こうとしても昔やってたとかよくある事だ。僕は統合失調症としてではなく、ただ一人の大人として人生に対峙していきたい。立派になろうと奔走した日々は過ぎ、僕は今本当に何も残らなくなった。語彙力も修辞も。諧謔も何もかもを失った。自分のブログを俯瞰して見ると、やはり一部にしか受けない内容である。新たに作り直さないといけない。過去記事は広範にして大量にある。フォロワーの皆様は最近の記事は脂がのっていないが過去記事を楽しんでくれればと思う。書く事は統合失調症の治療に良いらしい。ネットでそういう記事を見た。まあネット上の情報を全て鵜呑みにする訳にはいかないがこれについては信じても大丈夫だろうと思う。僕は今では一部の人に評価されているが、今後は本当の有名人になりたい。しかし僕は本当に疲れている。文章の随所で息切れをしている。芥川龍之介は長編小説を書けなかったが、それは体力がなく、病弱なせいだと宣う人もいる。それでもあそこまで時代の寵児然となれたのは偉大な事だ。僕も芥川と似たところが多いが、僕の場合長編小説は幾つか書いている。中編もだ。それが彼と僕との差だろう。しかし僕は未だに無名である。僕には才能がないのだろうか、魅力がないのだろうか。喘ぎ、七転八倒を繰り返す僕のこの人生に何の意味があるのだろう。僕は珠玉の名句を生み出せたか?新たな潮流となるものを生み出せたか?時代を動かすのは少数精鋭であって、新進気鋭であって僕ではない。当然の事じゃないか。僕が日本文学をより一層輝かせるなんて事は出来るのだろうか。少なくとも僕には手掛けて、したためてきた文学作品がある。運命にいかんともしがたく負けそうになる時、文学活動は僕の最後の矜持になった。僕は痛痒を感じるが生きている。また僕は昨日精神科デイケアを診察についでに見てきた。中々良さげだった、また次の診察の時に見学をさせてもらう事になった。合うか合わないかはその時に決めれば良いだろう。僕は話すのが上手らしい、自分ではそうなのかと疑問符がつくところだが。しかしアドバンテージがあると思えば俄然勇気が出てきた。しかし今はしんどい、更新は可能な時にはするがあまり多くはないとフォロワーの皆さんは思っておいてください。その代わりに過去記事もありますからそちらを楽しんでください。あとフォローしていない人はフォローお願いします。

 僕のこの活動が日常生活においても多大な凱歌を奏している事はある。実際書くように僕は人と話をする。その結果話し上手だとか言われる。僕の雑記に値千金の価値があるだろうか。まあ不安になるな、僕よ。もっと楽観的に生きようじゃないか。今でも十分頑張っている。仕事はしていないがそれでも元気にトレーニングをしているし、外にも用があれば勇気を振り絞って出ている。こんな僕を認めてくれている人、支持してくれている人、応援してくれている人にはありがとうと言いたい。僕の書く文章は同じ言語の使いまわしだったり、持って回った表現だったりする。そこには魅力がないのかも知れない。

 僕は統合失調症だ。でも一人の人間としてやれる事はやっていく。前途は洋々である。僕は必ず幸せになる。今も幸せだがもっともっと幸せになる。僕は本当に頑張って来たんだよ。その努力を誰かに認めて欲しい。そしてフォロワーも増えて欲しい。僕のように純粋で素直で、優しい人間が馬鹿を見る世の中であってはならない。霹靂のように発散される僕の熱量。僕はこれまで秀逸な作品を書けただろうか。カフカは死後その名声が高まり、ランボーも晩年にようやく名声が高まったと言う。僕のこのブログの全般を翻訳して海外に広めてくれる優しい人がいれば良いのだが。僕は一人では生きられない。誰かと奇跡的な遭遇を果たし、彼らの助勢を得て、ようやく富を掴めるのだ。だから驕慢になってはいけない、自画自賛もいけない。僕は謙虚に、慎ましく生きないといけない。夢に破れて散っていた人々が膨大にいる。僕もその一部なのかも知れない。しかし僕は希望を抱く事を辞めない。容易く諦めたりなんかしない。何もかもが僕の手の上にあるように感じる事は若い頃は誰にでもある事だ。僕はその妄想に終止符を打たないといけない。僕は中庸な幸福を生きないといけない。今あるものに満足しないといけない。倨傲など捨ててしまえ、僕は現実と乖離した甚だしい自己評価を捨て去り、月並みに生きないといけない。生きる、それ自体が霹靂である。統合失調症の残滓ももう消えつつある。無理はしてはいけないが今後僕は自分に出来る事をしていかないといけない。何事にも出来ないという先入観を持ってはいけない。愚にもつかない思い込み、自分が有名人だという妄想。僕はどうして普通に生きる事を避けてきたのだろう。こんなことを書いていたら、筆が進まなくなった。ではまたどこかでお会いしましょう。