療養〈76〉

 もし僕の子どもが精神疾患になったらすぐに通信制高校に転入させたい。治療には全日制や未熟者の若い連中は逆効果だ。今は某日の夜。食事前にいつものように風呂を済ませた。ドライヤーがないので母親にドライヤーの不在を問うとどうやら彼女が温泉に持っていったらしい。これには僕は苦笑を禁じ得なかった。僕は少しテレビを見て過ごす事にした。まだまだ冷房の必要な時期ではない。僕はぼやけた視界でテレビを見る。僕は会社に滅私奉公するような立場ではない。今後しばらく実家で休もう。明日は今日の深夜のアニメがテレビに録画される。

 書くのが億劫になるのが小説を休憩するサインだ。僕は自分に素直でいたいと思っている。今日僕の母は優雅に過ごせているだろうか。僕は最近のアニメの勃興ぶりには感心してしまう。中国や韓国などの新規参入の2次元産業に負けてはいられない。最近都市部では外国人観光客が横溢しているのだろうか。僕には分からない。

 何とか食事を済ませ、歯磨きも出血無しで優しく磨いた。やはりこれまでの僕の悪い癖が

和歌山にいる事で改善されつつある。僕は他人を思いやれる優しい存在。僕の存在で元気が出てくるのなら男冥利に尽きるというものだ。まだまだリビングは過ごし辛い。父親がいるからだろうか。僕は母の部屋からマットレスを借りパクして今使っている。非常に使いやすいものだ。僕は明日以後、鬼滅の刃を見るのが楽しみだ。僕もまた現代人の一介なのだ。何もかも、病気で不能になった訳では無い。僕は愛する人に囲まれて生きている。ルックスだって上の中だ。何も劣等感を感じて生きる必要はないのだ。

 そう言えば小学校時代、僕は軍曹のような野球の監督に怒鳴られたり、髪を引っ張られたりしていたな、気のない異性が好きだとか、大人に向けて、そして副次的に僕に向けて、僕にとっては讒言を吹聴した人物もいた。

 和歌山は良い場所だよ、皆和歌山においでよ、歓迎するよ。過疎化の激しい土地だけど、自然も多いし、人も少ないし、引きこもって生活する分には悪くない。まああまり外に出ずに活動するのならどの場所にいても日本語が通じる以上問題ない気もするが。

 明日になったら僕もまた違う心理になっているかも知れない。その流動性が僕には心地いいのだ。関東に行きたいなんて言った時もあったが行かなくて良かったと今では思う。中々関東から紀南までの往復は砕身の覚悟が必要だと思うのだ。僕はこの療養を心から楽しみ、言葉と格闘している。

 

 

療養〈77〉

 僕は高専時代に俺ガイルなるラノベに影響を受けた狂信者的な小男に大変な損害を被った。なんでも僕をその作品の中にいるヒッキーなる登場人物と同一視し、ヒッキーと呼ぶことを憚らなかった。のみならずお前は俺に似ているなどと、訳のわからぬ、めちゃくちゃな事を言ってきた。僕は彼から即座に離れたかった。ラノベの件を度外視しても、彼の独特の体臭も受け付けなかった。しかし彼の次に相部屋になった人物も酷く、僕を打擲したり、こっちの都合を顧慮せず寝てる時に勝手に別室の人を呼んでゲームをしたり。挙句の果てには僕に罵詈雑言を浴びせたり悪辣な手管を導入したりと。相部屋になる前は優しそうだったのに相部屋になってからは豹変した。似たような事例が日本社会には多いと思う。結婚だって同じだ。僕らは関係を締結する前によくよく人々を観察しなくてはならない。その中に少しでも齟齬があるようなら回避したほうが良い。

 僕は何故15の時から人生の質が低下したのだろうか。僕は無口で、無表情で、冷酷で、かと思ったら部屋で歔欷したり、浴場で歔欷したりした。寮生活は僕には合わなかった。僕は寮生活に過度な理想を抱いていたがそれは曲解だったのだ。名門理工科学校と呼ばれていた高専の自由な校風が却って僕の心理に殺伐とした雰囲気を与え、醸し出した。

 高専ではアニメオタクが多かった。正直僕は強制されて見せられたアニメもそれ以外のアニメもあまり興味は持てなかった。アカギは除くが。19歳の時にはNHKにようこそにハマり、その後尾を引いていったりもした。

 しかし今は大人になって、またアニメに返り咲いた。アニメを鑑賞するのは、スマホを具せば最強の娯楽である。また僕は多くの人々にチヤホヤされたい。その為の活動も惜しまずやっていっている。僕は統合失調症をもっと優しく扱って欲しい。不可視とは言え病人なのだから丁重に扱って欲しい。もっと感情の機微に長けたリーダーが現れますように。まあこれには僕のエゴ、私利私欲が多分に含まれているが。リーダーと言えば僕は一時期高校の山岳部のエースと呼ばれ、リーダー的存在だった。他校の教師からも絶賛されていたらしい。しかし皮肉なものでそれから少ししてから僕は統合失調症を発症した。それまで出来ていた事や、恍惚、満足も得る事が出来なかった。大いなる内向、大いなる自閉の季節がやってきた。まともな知性など残されておらず、試験で赤点を取ることもしばしばだった。

 

 

療養〈78〉

 小説とは婦女子や若者が読むものだという固定観念が昔は根強かったらしい。しかし今となっては再読や吟味をする事で少年期ないし青年期に読まされた著作が非常な意味を持ってしまう事が多い。今の高校の現代文にどのような作品が載っているのか、僕には皆目見当もつかない。昔入院していた精神病院で出来た僕の友達は中島敦の山月記がお気に入りらしかった。彼は文化人で落語のカセットテープを聞いたりしていた。彼は知能検査でIQ70であったと赤裸々に饒舌に語っていたが彼のような常識人で弁の立つ、世の中を牛耳れそうな風格さえもつ男がIQ70なんて信じられなかった。僕の胸中は彼を賛美一辺倒であった。

 知能検査なんてバロメーターは現代においてはほとんど適切に機能していないのではないかとの疑念。心理学に興味のある割には知能検査を受けない事を半笑いで見下されたりもしたが、今はその時ではないし、そもそも知能検査を僕は信用していないと伝えておいた。割といい加減なものが世の中には多い。言語ですら艱苦かあって、呻吟が有って誤謬の表現が定着する場合も珍奇な事ではない。

 僕は病院では赤川ではなく、名前の凌我と呼ぶように懇願した。それを唯々諾々と墨守した人々と僕は友達になった。しかし入院生活も慣れてきたら却って居心地が悪くなり、卑俗低俗な言葉が活気を帯びて聞こえるようになった。いつもの幻聴だ、僕はヒステリックになってるだけだ、気にするな、それに看護師から言われていると思い込んでる声は聞こえるはずがない。守秘義務があるからだ。如何に理性で症状を押さえつけようとしても僕の心は風前の灯火だった。僕はここから出られるのだろうか、院内のべてるの家の本を読みながら僕は絶えず苦悩していた。

 今の療養期間は無駄ではない。僕は自分なりに気持ちが秩序整然、理路整然となっているのを感じている。雑駁なものから、理に即したものが浮かび上がってくる、それは喜劇の閃光だ。一際眩しく光り輝くものだ。

 机上の空論ではない。統合失調症は超人になる為の小径だ。今からそれを示して進ぜよう。まあこんな事を言いながらも僕は持ち前の、専売特許のプログレッシブツイストを使うしかないのだが。このプログレッシブツイストももう古色蒼然なものになった。初めて利用したのはいつからだったろうか、確か20歳の時からのような気がする。今まで非業の死を遂げなくて良かったと心から思う。僕にはまだまだやるべきものが堆く積まれている。

 

 

療養〈79〉

 若者の読書離れ、文学離れが手痛い問題となっているこの日本。日本語自体が孤立言語で、モチベーションの低い人間にとっては日本という国家自体が1つの監獄になっている節がある。僕はモチベーションではないが、勇気がない。日本人相手でも対人恐怖で困憊阻喪してしまう。文学離れについては僕の文学を登竜門、関門として通りつつ、幽玄にして甘美で壮麗な文学の世界に触れれば良い。ゆめゆめ忘れる事なかれ。

 僕は話上手だと言われるが自分ではそうは思わない。単に吸収した知識をまとまった形で放出する機会が必要なだけで、体験もこれと同様の秩序を持っている。

 僕が発見されるまでどれくらいの歳月が経過するだろう。僕は自分のやっている行動がことごとく先駆的、実験的である事を自覚している。骨子や骨格には偉大なる金字塔を踏襲した上でやっているつもりだ。

 僕にとって大事なもの。愛と勇気である。この様では某パン人間の言辞と同じで甚だつまらない。しかし僕は少しは読者諸氏に阿るべきなのかも知れない。ただ心の赴くままに書いていて一発当てれば御の字だが、現実はそうはいかない。今の日本は文化が多様化したと言われている割には若者一般が集合的な意識を持っていると誤解し差別に加担している事がある。画一的かと言われれば、多様的な時代でもある。この二種の概念が善悪の闘争の如く相克しようとしているのかも知れない。これも一般的な集合意識か、僕も彼らと同じだ。擬人化をやたらと汎用する人間の心理にも通底するものが、今話題となっている。

 さて僕の本当にしたい話をまだしよう。やたらと衒学的な弁舌は終わりだ。僕の過去、非常に燦然と輝き、尚も雄大であった。あんな小坊主が今の僕のようになるとは誰が予想しただろう。僕は過去を思い出すともの悲しくなる。僕は淪落の、辛酸の極みを得たのだろうか。まあそれでも総体的には今の僕は幸福である。明るい作風や文体を屹立ささせるべく僕は無我夢中で作品を作っている。喜び勇んで書いた後、結局それが馬鹿げた独善的なものだったと気づくのがいつものパターンだ。僕は自分が正当に評価されるべきだと願いながら実はそこまで自分の活動に大いなる自信は持っているとは言えない。作品だからか、性格からだからか、誇張せずにはいられないのである。 

 僕は今まで頑張ってきた。その事は僕の近辺にいる人間なら周知の事実だと思う。僕の成長ぶりと言ったら比肩するものはほとんどいない。統合失調症にありがとう。統合失調症になったからここまで厚みをなして、筋骨隆々になれた。

 

 

療養〈80〉

 外の清らかな水流の男。自然の奏でる流麗のその音が僕の耳に入り、僕の自律神経を癒す。僕はパソコンでペルソナ3のBGMを垂れ流しにしながらゴロゴロしている。もうじき薬でも飲もうかと思っているがまあ焦る必要はない。明日も療養の日だ。僕は自分が潔白ではない事を知るが良い。昔の僕はいじめっ子にもいじめられっ子にもなれた。

 僕の実家の隣の家には僕と同じ年齢の人が住んでいる。最近はどうだか知らないが高校までは多分住んでいた筈だ。大人になり、僕はよくベッドで横になる事が多くなった。僕は色々な事を考えてる、他の大勢の人と同様に。悪口なんぞ言われる訳がない。皆そこまで暇人でもないし、有名人でもない僕を見たりしない。一目瞭然の事ではないか。凄艶な理屈も何もない。

 また僕は僕なりに社会を見ている。僕はそうする事で自分の心の空白を埋めてきたのだ。和歌山では若者はほとんど見かけない。それが僕の幻聴の存在性に反例として重要な立ち位置を示している。僕は今後どう生きるか、僕の小説を読んだ限りではただ漫然と過ごしているようにしか見えないだろう。しかし僕はしばらく働きたくない。良い条件の職場もなく、統合失調症もある。統合失調症があっても頑張って生きている人が多いのは知っている。しかし今の僕に強く生き抜く用意周到さはない。かと言って淫蕩に、放縦に溺れている訳でもない。僕は何も悪いことをしていない。統合失調症として生きるステージにおいて今は回復期か、寛解期か?まあ詳しい判断は医者がやる仕事だ。素人がやっても単なる空理空論で終わる。何の権威もない存在が出る杭になれば必死の形相で叩いてくるのは常識であり、人であり、鬼である。

 外の音が和歌山だとやけに大きく響く。いや、京都でも外国人の住人の声が大きく聞こえる時が頻繁にある。まあそんな事はどうでも良い。テレビは父の随意により支配されている。僕は父を恐れている。いつからかは分からない。父の口調が僕を絶望の深潭に突き落とす事もあった。また僕が精神病だと頑なに認めなかったのが他でもない、僕の父であった。

 僕の趣味はなんであろうか、小説が完成したら今度はバンドでも組んで作詞作曲しようかと一念発起してみる。まあ乾坤一擲の事は上手くいかなくても僕にとっては成功への道程を示すものである。僕は今でも美を基調に、主義主張にした文学は書けない。それでもプログレッシブツイストの創始者は一進一退、遮二無二、七転八倒を繰り返し生きるのである。