療養〈65〉

 和歌山に帰ってくると僕は時間が過ぎるのが遅く感じる。車に乗っていると和歌山の自然を不可避的に感じられる。眼福至極である。和歌山の神々、精霊、僕は都市から離れて神域に入っていっている気がした。今日の夕飯はマグロの刺身にハンバーグ、その他諸々。僕はゆっくりと食べた。今の僕は身長に対して体重が軽すぎる。健康的に太っていかなければ、僕は駄目だ。昔は巨漢や恰幅の良い男に男らしさを感じていたが、男らしさとはそうではないのだ、精神性を指すものだ。

 僕もいよいよ馬鹿だ。まともに明朗に話せている感じがしない。家族だからか、気を抜いてしまう。恋人といる時もこのような感じなのだろうか。僕はもっと人脈を広げ、顔を広くさせたい。

 昨日のドラマを前半を母親が見えてなかったので、今はテレビでそのドラマの番組を彼女は楽しんでいる。僕は彼女が幸せであれば良いと思っている。僕は明日ドライブに出かける。自然の耽美の絶頂、僕はそれを文章に起こしたい。

 「あ、赤川君だ」その言葉が聞こえた時、僕はまだ幻聴のうねりの中にいるんだなと思った。危急存亡の場合においては幻聴が犯罪の発生に直結する場合があるのだ。統合失調症なら出来なくなる事も多いが出来るようになる事も多い。小説を書くなんて発想は統合失調症発症以後でないとあり得ない。僕は何者になれただろうか。そもそも社会の人々も何者かでもない。ほとんど無名である。嫉妬や怨嗟、教唆、欺瞞、多くのマイナス要素が錯雑し渾然一体となっている。

 僕は何も出来ない。今は無能としての日々を過ごしている。僕の言辞に注目を浴び、発見される時が来るだろうか。

 ドラマはすごい、迫真の演技だ。プロの俳優たちが感情的に、ダイナミックに動いている。推しの子なんて芸能界を風刺した作品も以前は一世を風靡した。僕は統合失調症の何を分かっているだろうか。統合失調症はもし常識を逸脱すればどうなるだろう。

 僕はこの和歌山に長く滞在するつもりだ。この和歌山では僕の清冽な感性を涵養出来ると思うのだ。僕は自分の人生を遠慮せずに生きる。

 今の僕は洞察的な、正鵠を射る思考とは無縁である。僕が出来ることとは何だろうか、泰平無事に生きる事である。僕は自分に魅力があると思っている。少なくとも放蕩無頼の落伍者ではない。僕は他人から責められる事もない。勧善懲悪に抗し、善悪の区別がついていなかった時代、僕は他人を不器用に中傷したりもした。僕の二面性は少年時初期にますます顕著であった。

 

 

療養〈66〉

 僕は切口上を言わなくなった、平易な文体と穏やかな雰囲気を心がけて過ごしている。僕は今実家のリビングにいる。金曜ロードショーのジュラシックワールドを見るまでゴロゴロしている。この時間、僕は一生忘れない。意味深な、畢生の中の宝の一部である。さっき歯を磨いた時はマッサージをするように優しく磨いた。血は出なかった。また知覚過敏も収まってきた。

 僕は本を読めなくなった。ランボーの詩集を持って帰った方が良かっただろうか。カフカの短編集は楽しんだ。論考や物語、寓話があった。長編ほどの明晰な不条理性はないが、やはりカフカの書いた作品だと分かる不思議な感じがした。20世紀文学なら割と分かりやすいと思う。源氏物語などには感情移入が出来ないし、出来ても無味乾燥に感じる。村上春樹は日本随一の小説家であり、趣味も僕と被るところがある。

 また僕のブログはあまり人気がない。これは僕自身の不徳の致すところ、辣腕ぶりの欠如である。僕は明日祖父の家に行く。今はテレビを垂れ流してぼんやりとしている。ニュースが奔流のように流れている。僕は実家の電灯に加減が出来る事を大変僥倖に感じている。僕にしか書けないことはあるだろうか。統合失調症を利用した露悪趣味は多くの人が、先駆者となっている。

 僕の情熱はどこに逃げていったのだろう。それは僕が困憊の最中にいる事を物語っているに相違ない。

 「凌我、さっき携帯鳴ってたよ」僕はトイレからリビングに戻るとそう父に言われた。確かに何かのニュースがあった。ニュース、全国津々浦々流れている代物。また過去のニュースもネット記事になったりしている。

 統合失調症になって無念にも死んでいった連中、死屍累々のなし得なかった奇跡を僕は起こしたい。中学時代、僕は普通の人には持っていない何かを持っている人だと生徒に言われた。僕は特別なのか、その是非についてはもう今となってはどうでも良い。僕は新たな地平を開拓したい。夢物語のような大仰な精神性の果てを開拓して行きたい。

 僕は大幅に変わった。満足する事を、程々を、ニュートラルを今や僕は大切にしている。大きな理想を抱くほど気疲れする。ならそんな事はしない方が良いだろう。今は天気予報をしている。父親の夕餉の咀嚼音が聞こえる。冷房はなく、扇風機だけだ。しかし明日からは夏日になるらしい。また京都に戻れば僕はこの幸福を維持できるだろうか。一人はもう嫌だ。だから結婚したいし、家族が欲しいのだ。

 

 

療養〈67〉

 統合失調症の文学、事に僕の文学、プログレッシブツイストがまとまって翻訳されたら非常な激震である。統合失調症は人間心理の暴走状態であり、統合失調症的部分は誰でも持ち合わせているものだが、実際に統合失調症が確定したものはダイヤの、狂気の原石である。そこから独創性のみをすくい取るか、制御不能の情動に隷属して更に悪化するかは各人によって異なる。野卑な蛮族にも知悉の大賢者になれるのが、その瀬戸際を作るのが統合失調症である。僕は今日を生きた。明日どうなるか楽しみである。まあまず間違いなく、統合失調症は固陋な脳髄では理解する事すら叶わず、終始差別されるだろう。僕も差別経験はあるし、無惨にもそれに加担する人間も見てきた。世の中は善意の律動のみで動いている訳ではない。僕は芸術のアプローチでこのくそったれな世の中を変えたい。

 ギリギリのところで正気を保つ、僕はそれが出来る時と出来ずに苦に病む事がある。自分の好きな事だけをして悦に入られたら良いなと思うがこの療養もいつまでも続かない。放縦な行動も親の目を憚り出来ない事もある。

 京都に戻ったところでこのような繁茂する小説材料の格差はやはりある。京都だと有名スポットは人が多く、僕は総毛立ち、顔面蒼白になってしまう。和歌山ではその剣呑さは少なくなっている。たまに外国人もいるが本当にたまにだ。まあこれは僕の外出の頻度が低いからそう思っているだけかも知れない。僕は醜いだの、ブスだのと言われてきた。しかし僕は彼らの言うほどひどい容姿ではなく、むしろ整っていた。匿名を利用して悪口を書くなんて卑劣で卑怯だ。僕は彼らを可哀想な人々として見ている。僕は醜くなんかない。

 僕の母はこうも言った。「凌我のつらさ、代われるものなら代わってあげたい」と。僕はあの時から何がかわっただろうか。僕は統合失調症なりたての時は混乱と絶望によって身が裂かれるような、肺臓が焼け、咽喉が枯れ、胃がよじれるような感覚に陥っていた。父親は数少ないテレビのあるリビングで寝ている。母親の部屋の隅テレビもそうだ。僕は深夜アニメを見たいが明日は家族で出かける用事がある。僕はそれに追随していこうと思っている。

今母親と祖父の家に向かっている。祖父のグループホーム入居の為の事前準備だ。今は車に乗っている。外は眩しく、僕は度入りサングラスをかけている。和歌山県は閑散としている。またさっき歯を磨くと血が出た。しかし母は若いから治るから気にしなくて良いと言う。

 

療養〈68〉

 和歌山は落ち着いている。またさっき僕は母に痩せた、スタイル良くなったと言われた。母親との他愛もない会話。僕はこの時間を享楽していた。長く和歌山県にいないと、変わってきた箇所もある。料理屋だったり、その他の建物だったり。

 トイレ休憩になった。僕は家で出してきたから行かなかった。今日の昼ごはんはおにぎりである。父はさきに祖父の家に向かったらしい。祖父が亡くなればどうなるのか母に聞いた。彼女は第二の家として老後に使うかなと言っていた。

 ドライブしている時間は楽しい。力を使わなくても移ろいゆく景色。僕は王者の風格、貫禄で外を眺めている。今の車ではテレビを車内で見ることが出来る。現代化は僕らの生活に浸透している。昔マラソン大会をした場所。野球の試合で使った場所。見慣れてる場所が何度も何度も僕を落ち着かせた。

 また今日は親戚も祖父の家に来るらしい。挨拶をしなくては。緊張するが。僕はさっき、母にあなたの身長は私の1.5倍だと言われて嬉しかった。

「なんで私が駆り出されるのか分からない。自分の家の掃除でも四苦八苦しているくらいなのに」と母。

「ああ」と僕。母によると祖父の荷造りは兄弟がやってくれるだろうとの事だった。

 しかし僕はもっと健康的に太らなくてはならない。昨日も足細いと母に言われた。スタイル良いのを維持しながら太っていきたい。今の僕では痩せ過ぎである。植物の匂いが僕の鼻腔に届く。懐かしい匂いである。

 自分が統合失調症である事を忘れる位爽やかな時間である。日差しも気持ちが甚だ良い。僕はサングラスをしているが、サングラス越しにもこの和歌山の山川草木、吉凶禍福のありがたみがよく分かる。祖父の家までの道中は素晴らしい。

 祖父の家までの道のりは蛇のようであった。僕は今日外に出られて良かった。コミュニケーションの練習にもなるし。

 今、祖父の家についた。親戚のおばさん、「お疲れ、よく来たね」

「いや、暇だったんで」

僕は部屋に座り込み、人々の会話を聞いた。活発な話で聞いているだけで元気が出る。罵詈雑言ではない、辛辣な噂話もない。親戚のおばさんと母との会話。色々と荷物を外に出している。ゴミの分別などもしていた。

「良い天気で良かったな」とおばさん。

「雨降ったらもうやる気も出ていく」

 僕の見た目についての言及はなかった。その方が僕にとっては都合が良い。1人の老人をグループホームに送るだけでこのような手間が必要なのかと分かった、今回の経験で。

 

療養〈69〉

 いつも思う。親戚のおばさんは僕の姉に似ていると。しかし僕の姉は寡黙な方である。祖父の家で今僕はまったりしている。サングラスは変ではないらしい。僕は人の会話を聞くだけで安らいでくる。僕のような悪口雑言に横溢したあの地獄的な日々から隔絶されている気さえした。ある意味祖父の家は聖地である。多分もう来ないだろうが。和歌山に帰ってきて僕の着る服が増えた。Lサイズであれば僕はどんなものであっても着る事が出来る。

 ユーモアのある会話。僕は会話の勉強として集中して彼らの話を聞く。僕は今後よく考えて、学ばないといけない。僕の行動力は抜群であると言う。ならそれを恋愛に利用しない手はない。当たって砕けろ、行動した方が仮に失敗しても自分の為になる。

「この古いの昭和みたい、メルカリに出したら売れるんじゃない?」

「裁縫箱可愛いな」

「これソーメンを作ってるの?」

様々な声が飛び交う。僕は錯雑する音の連鎖にやられそうになった。

 統合失調症の事を指摘する人はいない。僕は1人の人として尊重されている。僕は最近和歌山に帰ってきた、療養の為だ。母親の僕と話す声とは違っていてもっと母親にはフランクに話して欲しいと思ってしまう。色々と慎重になっているのだろう。

「特別虫が苦手な訳ではないけど、なんか嫌だね」との声があった。もう昼飯時である。僕は女同士の会話を聞くのが好きだ。これは倒錯的な、性的な意味ではない。しかし何故か落ち着くのだ。

 僕のブログはあまり人気がない。恣意的で独りよがりなのかも知れない。僕は無駄に他人に阿る事はしたくはない。

 僕はすぐに疲れやすくなり、よく寝転がっている。筋力が低下した事で、上皮だけの、かりそめの体重が減ったのだろう。僕はもっと頑張らないといけない。祖父の荷造りは親戚と両親に任せる事にしている。僕はこの田舎の雰囲気が好きだ。都会の喧騒から離れたこの雰囲気が好きだ。好きなアニメは和歌山でも録画すれば見ることが出来る。おばさんと母親との仲は良好らしい。僕は仲が良いのは良いことだと相好を崩している。何故なのだろうか。人間の心理は複雑怪奇で自分でもよく分からない。単純なようでいて分からないことも世の中には多いものだ。

 多くの時間が過ぎ去っていく。その中になすすべもない僕がいるのだ。僕はまだお腹が空いていない。食事をする時にはサングラスを外すべきなのだろうか。しかし僕はさっきおばさんに挨拶出来た。些細だが、成功経験だ。

 

療養〈70〉

 僕は昼、虫の飛び交うこの祖父の家で過ごしている。母親の話し方が僕の時とは違う。これは何か悪い原因があるのだろうか。グループホーム、そこで祖父の余生が良くなれば良いのだが。もう祖父も90を超えた。僕は今、入院している祖父が正直苦手だ。彼は耄碌してきて、本人もそれを自覚し、劣等感を持っているようだ。

 僕は食事をしている。皆で話し合った。僕の弟は行動的だという話をしている。僕の弟は非常に逞しいものだ。京都での話もしている。僕の話もした。僕はこの時間が好きだ。好きな時間が増えて良かった。僕なら多くの巨大な功績をこの先も成し遂げられると思う。僕は静謐な方だがおばさんとも話せた。何の気兼ねもなく。僕は多くの人々と友達になりたい。京都から戻る際は非常に身体症状も出てきて嫌な感じであった。外に出たら僕は統合失調症のせいなのか、非常にしんどい事だ。

 僕の服のサイズはLサイズである。前はXLだったが痩せた。Mサイズも着れるんじゃないかと母親に言われたりもした。

 この祖父の家の空気感、長閑な田舎、僕の実家よりもさらに長閑だ。僕は携帯をいじり続けた。高校時代のあの苦痛に満ちた日々、統合失調症の僕に何の遠慮もなく嫌なことを言ってくる人々。僕は通信制高校に行った方が良かった。昔の話はどうしても繰り返しになる。小学生の時は色んな漫画にハマったりしていた。明るく友達も多かった、スクールカーストでもトップだった。

 祖父のグループホームの議論を今僕以外の3人はしている。僕は何が何だかよく分からない。身長についてはもう彼らは触れないようにしているのだろう。僕が気にしているのを知っているから。だからこそ彼らは優しい人々なのだ。僕は人間関係に恵まれているということだ。

 僕は痩せたとおばさんからも言われた。僕はもうめちゃくちゃな食生活もしなくなった。僕はbmiでは痩せすぎの数値である。筋肉が落ちたのだ。それほど病的に痩せて見えない事については体脂肪が残っているからなのだと思う。

 僕の祖父ももう長くはない。昔、僕は祖父に甘えていた。僕にとって祖父は強く優しかった。しかし加齢に伴って静かになった僕を糾弾するかのような姿勢を取るようになった。今や僕は祖父を恐れている。祖父はうつ病的にもなっているし、兄弟の区別が寸毫もついていない。

 食事を終えて、僕たち眷属は色々な祖父に関する話をしている。僕は頻尿なので、よくトイレに行くようになっている。ストレス性の頻尿だ。これも再三の言及になるのか。