療養〈61〉~〈64〉

療養〈61〉

 僕は今日起きて、ついさっき昼ご飯を食べた。歯磨きを優しくした、血は出なかった。今はアニメを見ている。実家のテレビで録画したアニメを垂れ流している。こうやってながら見していたら、非常に爽快感がある。何故だかは分からない。今日僕が起きたのは午前11時過ぎだ。少し遅いな。でも療養中だ、無理は良くない。京都に帰ったら僕はどうなるのだろうか。朝は起きれないし、ゴミも出せない。ルールを破ってゴミを出す訳にもいかない。また今の僕はのんびりと過ごしている。僕は思う。大人になると、皆如何にもアニメを見ていないポーズを取っている人間が多いのに気づく。やはり、このアニメ漫画黎明期においても、それらはまだまだ発展の余地があるのだと思う。

 ジブリなんかは金曜ロードショーでよくやっている。ジブリについてはマニアックなものではなく、もう既に社会に一般化されたものだ。まあでも、歯茎から血が出なくて良かった。トマトも沁みる事はなかった。僕の歯肉炎は治りつつある。しかし完全に治った訳ではない。今後もセルフケアを徹頭徹尾行っていく。重要なのは力を入れすぎない事だ。僕は癖というか、慣れのようなもので力を入れて磨いてしまう。

 僕はこの和歌山にいる間、一人時間を満喫し、母親とも笑顔で話したい。僕の笑顔は自然なものだ。ひきつっていない。僕は変な事ばかり気にせずに、もっと落ち着いて生きていきたい。どうでも良い事に悩まなくても良いじゃないか。

 僕は昨日の夜9時からドラマを見た。木村拓哉が演じているようだ。なんだか難しい内容のドラマだった。会社だの土木だの刑事だのと。でも楽しめた。僕は仰臥した状態でそのドラマを見た。

 中学時代の僕はアニメオタクであったが、今の僕はそうではない。しかしそれの残滓と言うか、尾を引いた代物はある。しかし僕以外の兄弟も県外でよく過ごせるものだ。県外に出ると孤独感に陥り、僕は嫌な気分になる。僕のこの療養と題した文章には婉曲的な表現を避け、明らかに異常な錯乱した表現を好んだ。

 和歌山は過疎化していて甚だ過ごしやすい。僕の家族の家族仲は良いと思う。皆自由に発言している。また僕だけが家族の中ではずば抜けて長身だ。遺伝子にも恵まれたのだろう。だから死にたいなんて思ってはいけない。アドバンテージもあるし、今後良いことが大挙して押し寄せてくる。僕の父が帰ってきた。彼は食事の準備をするのだろうか。またハムスターの生活音も聞こえる。

 

 

 

 

                   療養〈62〉

 僕は長時間座ったり立ったりは出来ない。すぐに疲れてしまうから。今さっきアニメを見終えて今は自室のベッドで寝転びながら過ごしている。僕は最低でも2週間は和歌山にいるつもりだ。また僕の姉も婚活パーティーに参加しようかと今検討していると僕は僕の母から聞いた。しかし実家は落ち着く。また今日は晴天である。僕の母は晴天が好きらしい。僕はどのように生きるべきか。ジブリのアニメで君たちはどう生きるかというのがあったことを僕は思考に連関して刹那的に思い出した。統合失調症も大した事ではない。統合失調症でも彼氏彼女がいたり、結婚している人もいる。恋愛を出来るかどうか、それは本人次第である。僕は恋愛をしたい。今の若者は受動的だから行動あるのみだ。まずは趣味の界隈からせめていけば仲良くなれるかも知れない。

 また電車が紀伊田辺に到着した後、僕は家まで歩いて帰ったのだが、小学校の体育館が夜遅くなのに明るくなっていた。中から人の声が聞こえた。懐かしい僕の母校だ。しかし僕のいた頃とは変わって現代的な建築物に改良されている。今の子供に未来はあるどろうか。自殺を選んでしまう人が多いし、統合失調症だと自殺者はさらに多い。

 外は静かだ。このまったりした時間が僕の疲弊した神経を癒す。僕はどうしても和歌山に帰りたかったのは今のような時間が想定されるからだ。また関係ないが僕が大学に入りたての頃ギターが必要なので和歌山から姉が僕のギターを京都に持ってきてくれた。その時僕の友達だった人が彼女を見てモテそうと言っていた。まあ人の価値観はそれぞれだ。僕も別の友達だった人を小栗旬のようだと感じていた。

 大学では僕は学問をしに行った。遊ぶためではない。僕は対人恐怖でただでさえ神経がおかしくなってきたし。

 僕は8kgも痩せた。これは食生活の乱れを改善したおかげだろう。しかし身長にしては痩せすぎである。そうは見えにくいのならそれは脂肪があるからに他ならない。

 生きるのはたまに辛い。でも良いことだってある。ドーナツの穴ではなくドーナツの全体を俯瞰し、吟味していこう。僕は楽観的になれそうである。統合失調症も怒涛の僕による治療攻撃のおかげでだいぶマシになってきた。前はこうはならなかった。僕は和歌山に、郷里に感謝している。これから和歌山がどうなるかは分からない。大地震で和歌山が消えるかも知れない。しかし僕のここで過ごした時間は永劫に残しておきたい。

 

 

 

 

                       療養〈63〉

 僕はこれまで統合失調症になりながらも琴線に触れる経験をしてきた。それを芸術に活かしていきたい。僕は無名のまま終わるのだろうか。今僕はリビングにいる。部屋の照明を暗くして僕は過ごしている。さっきは疲れて二階の自室で過ごしていたが、なんとなく落ち着かなくなってリビングに来た。今日は金曜日だ。華の金曜日。アニメも金曜ロードショーもある。また僕は最近お気に入りのユーチューバーが活動していない事に心配している。彼は大丈夫だろうか。

 アニメを見ながら携帯をいじるのも良いものだ。テレビのみに集中する事は現代人にしょっちゅうある事なのだろうか、僕には出来ない。僕は外には出たくない。靴底が歪にすり減るのが嫌だからだ。しかしそうなったとしても自分で買えば良い話だ。僕は多くの事を気にしない事だ。もう病気の身なんだ。健常者と同じ習慣、同じ意識を受け継ぐ必要はない。統合失調症は天才の病気だと居丈高に言う人間がいる。僕はそうだろうかと思う。しかし天才、この言葉はある種の過剰さを孕んでいる。

 僕は中学まではラノベを耽読してきたが、それ以後は格好をつけて純文学を好むようになった。世界を微塵も知らないのに世界を知った気でいた。過去の僕は三下であった、それに加えて倨傲だったのだ。おかしな話だ。ダニングクルーガー効果というやつだろうか。僕は和歌山にいる事で沢山癒されている。僕は家中の鏡を見たくないのだが、否応なく生活するには見なければいけない。

 多くの事に手当たり次第に関わってから僕は良い人生を送られるようになった。落ち着いて過ごす中で僕の劣等感も浄化していく気がする。僕はどうすれば良いのか。自分が馬鹿でも惨めでも、負けないように強い心を持つ事である。

 母は今日は趣味の武道も休みだ。だからお母さんとよく話せる。まあ話題も特にないのだが、母と話す話題を少し考えておこうかと思う。僕は駄目人間じゃない、自分が思うより素晴らしい人間だし、魅力もある。僕が人々を魅了する為に必要な事はじっくり、少しずつ達成していく。今は雨が降っている。もう梅雨だろうか。僕は今日の深夜アニメが楽しみだ。リアルタイム視聴は出来ないので明日録画したのを見る。色々な感情が感受性豊かな僕の胸中で渦巻くようだ。また僕は段々と精悍な顔立ちになっていって昔のように女顔ではなくなった。しかしだから人生が終わる訳ではない。諦めて、違う形の人生を送っていこうじゃないか。

 

 

 

                      療養〈64〉

 僕は子どもが欲しい。愛する人との子どもを。子どもには精神疾患にさせない、絶妙な感覚で人の不調を感じられるようになりたい。妻のメンタルにも十分に気遣っておきたい。全人類に対しては論文とアートで、身近な人には真摯な対応で愛したい。統合失調症はもてないとしきりに言う人が前のデイケアにはいた。そう言う自分は結婚していた。彼は他人との比較で幽玄にして甘美な感覚を味わっていたのだろう。統合失調症になると、健常者時代にはなかった感覚が支配的になる。僕の中でやる気が勃興する感覚を僕は赤裸々に表現していきたい。今はヘルパーや訪問看護もいない。僕は母の手料理を食べている。食事の量も少なくなってきた。そして次第に痩せていっている。昔の僕はジム・モリソンのように太っていた、或いはプレスリーのように。

 僕は肉体的にも弱者じゃない、しかし突出した存在感がある訳でもない。僕は自分が有名人であることを、自分が監視されている事を否定する。否定する事で生きるハードルが低くなるのだ。僕にはまだ人間関係がある。母親のみではなく、親戚も、兄弟も、父も、友達も。普通統合失調症になったら多くの人が離れていく事だろう。それでも僕と関係を続けてくれている人がいる事は素直に嬉しい。今は不和軋轢も、乱暴狼藉もない。僕は頑張ってきた。空理空論に当惑される時もあった。

 僕は典型的な統合失調症なのだろうか、それでも生きる事を辞めない限り喜劇の閃光はある。僕の中では獰猛さが可笑しみを生んでいる。新たな機知は混乱の中にある。僕の中の錯綜的な思念もクリアになってきた。でも加齢のせいだろうか、瑞々しさが人生から喪失したような気がするのだ。

 僕は衣替えをしたが今日は少し肌寒い。また僕は思っていたが情景描写が下手くそだ。僕は文豪になりたいのだが、少しは自分以外にも関心を向けた方が良い。ゆっくりと、巧みに文章を粘液のついたまま種々雑多の諸原理を集約して産み落とす。僕はちゃんと生きている。それだけで僕は満足なのだ。本当か?本当に満足か?僕の貪婪、懈怠、慚愧、慟哭、歔欷。流れる時の中で僕は強く生きよう、変なものを気にせずに生きようとしている。

 僕は諧謔を使いこなせていない。太宰治の作品には明確に面食らうような奇想天外があるらしい。僕は太宰治より三島由紀夫に傾倒していたが、まあ過去の話だ。また僕は母親からデカイと思われてる。それだけで沸々と希望が湧いてくるようだ。僕の幸福を祈って、統合失調症を率いて参る。夭折で終わろうがどうでも良い、試行錯誤の無限順列だ。