療養〈51〉

 僕は今日朝の11時過ぎに起きた。倦怠感があるので早くは起きられない。それから下の階に降りて歯磨きをした。血が出たかと思ったがそれは歯磨きの着色であった。しかし僕は歯磨きをする際には優しく、マッサージするようにしないといけない。そうでなければ歯肉炎も治らない。僕は今日、市役所に行こうか迷っている。社会福祉の返金があるからだ。まあ今日でなくても良いのだが。僕が幸せになる為にどうするべきか。実家には母親がいる。母親と話す時だけは笑顔になれる。笑顔も疲れたら辞めても良い。その辺りは丁度良い塩梅を模索していけば良い。僕は昨日10個程連載小説を書いた。しかし反響はあまり多くなかったようだ。それでも僕は生き続ける。この和歌山の大地。外には人が少ない。僕も高校時代まではこの和歌山に住んでいたのだ。あの頃は傲岸不遜で、勘違い野郎だった。僕はどうしても偉大になりたかった。その近道として年上の権威ある人々と話す事を選んだ。彼らは僕を褒めてくれたがそれは本心だったのか今では闇の中である。

 昨日は尿意との闘いだった。非常な不快感が体中を迸っていた。僕は今後どうするべきか。連載小説はひとまずきちんと書く。それから自由に過ごせば良いのだ。お腹は減っていない、お腹が減ったら昼食を食べよう。僕は体重が70㎏まで落ちた。前は83㎏だったのに、これは僕の食事に対する態度の変化が如実に表れたからなのだろう。神々に頼むまでもない、自分の事は自分でする。誰か助けてなんて子供でも言わない。僕は自分の力で自分を律さないといけない。つまらない劣等感なんて吹き飛ばしてやれ。僕はどうしても剛毅に生きなければならない。そして自分の短所に毅然と立ち向かう。実家の一階は日の当たりが良い。僕は今後も多くの人と関わって生きていくだろう。また婚活パーティーのような場所にも赴いてみようかと思案している。しかし僕は長身美人以外、どうでも良い。好意を抱けない相手と付き合うのは至難の技である。僕は理想を追い求めすぎているのかも知れない。しかしこればかりは仕方がない。僕らは生きたいように生きるべきだ。今僕は仕事をしていない。人のいる場所では幻聴妄想が発生するし、たった1時間の作業でもヘトヘトになるし、また作業所に調子が良くなったら戻れば良いと両親は言うが、僕はもう作業所を辞める気満々である。また僕は昨日も素足の僕を見て母親からデッカ、と言われた。これは僕がデカイ証拠だ。

 

 

療養〈52〉

 歯がずきずきするような痛みはない。やはり実家の柔らかい歯ブラシは非常に使いやすい。京都にも帰る際に持っていこうと思う。またさっき起きた時僕は髪をといた、ブラッシングが大事だ、僕のような長髪は。僕はもう全てを喪失した。美も力も。僕は大それた人間ではない。やっとその事に気づいた。僕は目立たないし、誰も悪口を言わない。そもそも僕のような小物に割く時間などは毛頭ないだろう。そんな単純な事に今まで気づかなかったのは僕が京都の街の喧騒で頭がどうかしていたからだ。都会に住むと、色んな気質的異常が発生するのかも知れない。僕はどうしても分からない。どう生きるべきか。どう生きるのが正解か。きちんと使命を全うしたい。僕は優しいのか、しかし母親が言っていた。背が高い、真面目、素直、純粋は僕の長所だと。僕も確かにそれは長所だと思う。僕はどう頑張っても偉人にはなれない事を悟った。僕は文豪ではない、読者を惹きつける能力のある人間ではない。僕に出来る事は継続する事。僕の作品を読んで何かを感じてくれる人がいると嬉しく思う。芸術はこれほどまでに人の心を驚天動地、天変地異の様相に持っていく事が出来るのだと感心した時は非常に悦楽を伴うだろう。僕は頑張りに頑張って、今の立場にいる。統合失調症も治ったとは言えない。しかし以前に比べればだいぶマシになっている。今では罪悪感を捉えずに休む事が出来るようになっている。僕は大人になり、様々な気づきを得た。しかし大人だからこそ、自分の気持ちを押し込める必要があるのだと思う。

 僕の父親は南方熊楠の施設で働いている。昼になると実家に帰ってきて飯を食らう。そしてまた仕事。今の実家は僕を含めて三人がいる。働いている人を見て、僕はすごいなと思う。僕には絶対に出来ない。しかし人の生き方は十人十色、種々雑多。僕は統合失調症として休みながら過ごしている。僕の一挙手一投足全てが素晴らしい訳ではないが、それでも僕は頑張っている。

 僕の母親も趣味に仕事に忙しい。でも夜、僕は彼女と話せるので丁度良いと思う。僕は外に出ようか出まいか悩んでいる。午後になったら出ようかな。僕は非常に疲れやすいので注意が必要だ。昨日も実家に帰るのに甚だ困憊し、今日は起きるのが遅くなった。僕は何に対しても神経が剥き出しになっている。セルフケア出来る事はセルフケアをする、当たり前の事だが統合失調症の僕には難しい。そう思ってしまうのだ。

 

療養〈53〉

 行動をしないと小説が書けない。僕は今すぐ行動する事に決めた。際限のない論考にうつつを抜かすのはもう辞めだ。僕はどうすれば良いか、決まっている。責務を果たす事だ。僕は昼食後に歯を磨いた。昼食後に僕は歯を磨く事にした。実家に帰ってきて安心感が横溢している。僕はやはり和歌山の人だ。まあ東京などにも憧憬はあるが、雑踏なども苦手だし、いつ嫌な事を言われるか分からない。母数が多い分嫌な人々も多い。この僕の神経の病的さを思えば和歌山位が性に合っているのかも知れない。市役所までの道のり、近いようで遠い。蒸し暑い気候の中、僕は闊歩してゆく。僕は嘲笑されるような人間ではない。何も悪いことはしていないのだから、そんな憂き目にあうこともない。

 市役所で社会福祉の払い戻しに僕は待っている。僕は非常に安らかな気分だ。尿意もない。ストレス性の尿意のようなものもあるのだろうか僕には皆目見当がつかない。市役所には割と人がいる。しかし落ち着け。僕はみすぼらしい、萎びた、煤けた小男ではない。

僕は生きるに値する人間だ、だから落ち着け。褒められた事もあるだろう。落ち着け。新しい市役所の空気は美味しい。良い匂いがする。木のような匂いだ。僕はマイナンバーカードの更新をしている。それが今後役に立つだろうと。

 僕はシドバレットのようにありたい。シドバレットはピンクフロイドの脱退前に統合失調症を発症し、やむなく脱退した。統合失調症には統合失調症の生き方がある。無理をしなくて良いのだ。

市役所での手続きは済ませてきた。僕は任務を果たした兵士のように実家に戻った。こうしている内に何人の人々が命を失っているだろう。そして僕は何故、こんな二束三文を書いているのだろう。

僕、良い一人称だ。僕と言う一人称の僕以上に似合う男はいないだろう。僕はある意味俳優を演じていると言える。僕は何をするにしてもまず演技の素養が入っていたのだ、昔は。しかし統合失調症で剥き出しの、自我領域に穴が空いた状態になったので演技などは破綻し、そもそもそんなものに神経を使う気になれなかったのである。

僕は若さの最高潮にいるのか。しかしそんな自覚はない。僕は背が高い、それは事実だ。だから気にするな。きっと僕に惚れてくれる異性がいる筈だ。こんなのも恋愛系の妄想なのだろうか。しかし妄想は必要だ。妄想がなければ前向きになりづらい。要するに悪い妄想だけを追放、精神から退去させていけば良いのである。

 

 

療養〈54〉

 文字を用いた活動が文士の目下の果たすべき道である。他にも色々な経験をして、小説の材料にするのも良いだろう。そう、僕が今やっているように。世の中は変わり、文学も文壇も変わった。上皮だけの変容というより西洋文学の強引な輸入によって日本の現代文学は大幅に根底から変わった。そうしていく中で今や様々な形式の散文が社会に溢れる事になった。僕は今、本が読めない。しかし本が読めなくても立派な文章が書ける人も存在する。読書だけが自己成長の糧である筈がない。僕だって今は本が読めない。というか読みたい本がない。また僕の母親は忙しくラインでメッセージを送っても何だかそっけない。僕は嫌忌されているのかと思ったがそうではないらしい。まあ全員がいつも優しい訳ではないだろう。僕の友達も「俺も苛ついている時は対応が乱暴になったりするよ。俺は良い人じゃない」と言っていた。僕は友達も大切にしているし、家族も大切にしている。それだけで徳の高い人物だ。容姿がどうとか、僕は自意識過剰過ぎた。どれだけ綺麗になっても誰も僕の事を見てはくれない。それは僕限定ではなく、誰もがそうなのだ。おそらく芸能人であってもそうだろう。特に今の閉塞的な不況の世の中、他人に気をつかうなんて事は難しい。それも名前も知らない赤の他人にはね。一目惚れもあるだろうが、第一大人の恋愛はそれほどだれそれが好きなどとはならない。

 僕は恋愛においてアドバンテージがある。ならばそれを活かせば良いのだ。まだ僕も25歳、これからが楽しみだ。また僕は今ビートルズのアビーロードを聴いている。後半のメロディーの部分を聴いている。僕はどうあがいても何もならない事もあるかも知れない。ハウス加賀谷も言っていた。どうにかしようとしてもどうにもならない事もある。しかしそこから始まる人生だってあるのだと、良い事を加賀谷さんは言うものだ。

 さっき外でジュースを買って、飲んだ。外は猛暑に近づいている。まだまだクーラーの必要な気温ではないが、下手すると6月中に夏が来るかも知れない。青春的な意味ではなく。僕は多くの人々を幸せにしたい。多くの人を癒してあげたい。僕は結局統合失調症当事者のみならず悪い奴を度外視した人間が好きなのだ。それだけはいつでも忘れてはならない。今の時代は、どんどん価値観のアップデートする時代である。どんどん変えてゆこう、若者も中年も老年も。変える気になれば世界は変わる。饒舌にもなれるのだ。またこの熱意の奔流が一時的なもので終わりませんようにと祈る。周囲を恒星のように照らせるようにと祈る。

 

 

療養〈55〉

 可愛い子には旅をさせよという諺があるように僕の両親も敢えて僕を放任する事で厳しくつらい道を歩かせているのかも知れない。僕はもう25歳だ、いつまでもマザコンではいけない。これから、これから僕は変わっていくのだ。さっきも歯は沁みる事はなかった。やはるセルフケアを徹底すれば歯肉炎は治るのだなあ。まあまだ完全に治った訳ではないので油断は禁物だが。また僕はもう男顔になってしまった。昔は女顔だったのだが、今の僕は単なる男だ。まあそれでも構わない。不細工という訳でもないし。

 人の身長はせいぜい一日で下がるのは1㎝前後だ。それ以上は単に姿勢が悪いだけだ。側弯症なんて病気もあるのだがまあそれは滅多にいないし、もしそうであれば医師からも指摘される事だろう。

 僕の論考は論考と呼べる代物なのだろうか、もしかしたら無用の長物なのかも知れない。僕は小説を書いている。外の景色は晴れと曇りの間くらいだ。しかし日光はさしている。台風はそれたのだろう。もう雨の気配すら見られない。和歌山はすごく素晴らしいところだ。もっと都市部の人々も地方の過疎化を食い止めるべく、痴呆の良さをアピールしないといけない、そう、この文章のように。僕はもう書くのがしんどくなってきた。僕の統合失調症には易疲労感がある。これは厄介な代物である。少し書くのを辞めて寝転がってみようか。そうすれば何かが変わるかも知れない。

 寝転がってみると、全てがクリアに思えた。実家の安心感は甚だしい程である。僕は最近人が怖くなってきた。分かっている、それも統合失調症にはよくある事だ。しかし僕は前の医者で気分障害扱いされていたがあれはその後どうなったのだろう。情報が今の病院に受け継がれたのだろうか。僕の今の精神科の主治医は極めて爽やかであり、僕の母もイケメンと言っていた。僕は彼の処方された薬がなくなるまで実家にいるつもりだ。そうしていく中で分かってくる事もあるだろう。僕の知り合いは殆ど県外に出てしまった。まあ県外や都市の方が職業も豊富で人も豊富だ、分からない事でもない。また僕は関東に生まれたかったと思う事がある。方言なんて僕は嫌いだからだ。標準語にまみれて生活すればきっと見えてくる者もあるだろうと思う。清澄さが標準語にはある気がする。これは僕の勝手な私見なのだが。また僕のブログは中々1000記事を超えても有名にはならない。その事に僕は言い知れぬ脱力感、退廃感を感じる。しかし僕は全てが狂ってしまっているからこのような瓦解した文章しか書けないのだろうか。己の無力感に苛まれる。