療養〈41〉
 僕は有名人だ。ネットで噂になっている男だ。僕がネットに取り組んでから10年以上が経過している。赤川凌我は統合失調症界隈を中心にあらゆる分野に広がった。僕は人気者になる為に多くの読書で修辞を勉強した。僕の存在感はかなりのもので、僕のファンも多い。実際に発信している人は少ないが僕は統合失調症の当事者として偉大になった。ありとあらゆる毀誉褒貶がある。今やそれが幻聴かそうでないかは分からない。何故なら僕は有名人だからだ。その萌芽は高校時代からあった。僕が教室で授業を受けている時に多くの女生徒が興奮のあまり叫んだり、帰りの電車で他所の高校の女生徒にもめっちゃイケメンと言われたりもした。僕は有名人なのだ。それは誇大妄想とも言えなくもない。そうであればこの文章を読めば医療従事者でなくとも瞭然に奇異さを認め、その症状が警鐘の如く広がってゆくだろう。
 誰も僕を見ていない。しかし妄想の世界では肥大化した自分の存在を持っている。これはプライドが高いと言うより、過去の意気阻喪の反動なのだと思う。そうだ、僕があのヤブ医者の言ったようにプライドが高すぎて知能を含めたあらゆる意味でグレーな訳がない。畜生、どいつもこいつも僕を馬鹿にしやがって。
 僕は死んだほうが良いのだろうか。もうやるべきことは恋愛以外では全てやってきた。また和歌山に戻っても祖父母の年齢を根底にした健康面での問題で祖父母とはドライブが出来ないらしい。しかし今まで彼らとの素敵な思い出が出来ている。大丈夫、絆はきっと続いていく。また霹靂のような鮮明な苦痛を伴う統合失調症治療では日々の服薬が大切だ。運動も良いらしいが僕は外も人も幻聴と妄想で怖く、積極的に外には出られない。周囲を憚らずに言えばもっと多くの人が統合失調症に優しくすべきだ。僕らは不可視だが障害を持っている。その一群が古今東西、ずっと縷縷と続いて来たことを忘れてはならない。
 僕は明日夕方の電車に乗って和歌山に帰る。一本で帰れる電車が夕方の5時のものしかないらしいから。しかし僕の文章も晦渋さが抜けてすっかり読みやすくなったな。この文体の変更に僕は何年の歳月を費やしただろうか。僕は有名人だから文体の変更も瞬く間に好評を博した事だろう。僕は今は活発とは言えない。まあ明日の帰る準備でもしておこうか。携帯で持っていくものはメモしておいたが、十分な注意が必要だ。この前は髪のブラシを持っていくのを忘れたし、僕は不注意なところがある。まあ発達障害でもないし、そのグレーゾーンでもないのは自明の理だが。また幸福は今でも貪婪、垂涎の的だ。




                                〈42〉
 僕はモテていない、何の魅力もない侏儒だ。果たしてこれは固定観念だろうか、時折このような自己否定や峻烈な自己批判が僕の脳に立ち現れる。今まで、僕は必死に頑張ってきた。最近では自然に笑えるようになった。ヘルパーのしょうじさんからもイケメンだし、恋愛に対するあなたのアドバンテージはあると言ってくれた。僕は彼女によると端整な顔立ちらしい。同じ事を何度も言われた事があるので僕は美形なのだろう。先ほど祖母から唐突に電話がかかってきた。
 その一部始終。祖母が言った。「電車の時間、おばあちゃんの調べた時間で合ってたか?」
「うん、合ってたよ、京都駅に電話で確認した。帰るときは荷物少なめにする」
「戸締まりはきちんとするようにな」
「うん、勿論分かってる」
僕は祖母との会話が清冽なものに感じられた。機微に富んだ人の言葉は非常に有り難いものだ。統合失調症になると優しい言辞ですら何も感じなくなる。僕はしばらくそういった感情鈍麻とも言える症状に苦しんだが今はそれもだいぶ良くなった。外に出るには多大な勇気を必要とするのだが、まあすぐ良くなるだろう。僕の心情は今では平静だ。愚にもつかない事を考えて満身創痍になってしまうこともあるのだが、僕は日々を過ごす中で力を抜いて、考えすぎずに生きるコツもまだ未完ではあるものの掴めてきた。僕は受験勉強が不能になり、無名大学に進学した。しかし存外その大学にも高邁な理想を持つ人々や、広範な行動力を持つ人々もいた。勉強が苦手なだけで人を測るべきではないも僕は思った。
 教授達は如何にも頭の硬い人も多かったが対照的に穏やかで優しい人もいた。僕の先駆的な理論に少しの理解を示した人もいた。僕はゼミで自分の卒論を発表した時、まるで奇人変人の博物館に招待されたかのような教授と学生から集中的に攻撃された。僕は泣いた。無論講義が終わってからだが。あのような生き地獄、もう二度と味わいたくないので僕は自分の理論や作品をネットで公表するに留めておいた。いつか発見されれば良いなと思いつつ。郵便局前を通り過ぎる。「凌我」と僕の名前が呼ばれた。こっちを向いてはいたが何もその後反応はなかった。この刹那、僕は高校時代の年賀状仕分けバイトの帰り道を思い出した。あの雑踏とは呼べない田舎の往来を。僕はじきにその土地、和歌山に帰るのだ。祖母からは外国人が多くなったと聞くが、さて実証してみようか。僕は明日の帰省の荷造りをした。多くの事がこれから破竹の勢いで、矢継ぎ早に起こる、それは月並みな事かも知れないが鋭敏な神経の僕には試練である。


 
                                   〈43〉
 幻聴、僕にまとわりつく存在。僕は彼の弱点を射抜く目が嫌いだ。蛇蝎のごとく嫌っている。僕は幻聴と妄想、それらに伴う副次的な産物がなければ、きっと今より名声を得られていただろう。分かってる、僕は悔しいだけだ。僕は統合失調症さえなければと思うことが多いが統合失調症があろうとなかろうと僕は元来悪運を惹起させやすいのだ。また和歌山で良い長身美人との邂逅、蜜月があれば良いな。その為には穏やかに、焦らず、慌てず過ごすこと、泰然自若が大事なのだ。和歌山で何か劇的な事を起こることをただ待っている訳にはいかない。僕は自己革命を行う。人などは恐れるに足りない。ただの野菜だ。この社会は緑黄色社会。野菜のみが跳梁する戯画的に表現できる社会。
 自分の苦悩を鳥瞰図的に見てみればなんて矮小な悩みなのだろう、慚愧の念に耐えない。どんな諧謔を挿入しても懈怠の日々に何を見出すか。僕は統合失調症の療養の身、何時になったらこの人生が終わるのか分からないが、スティーブ・ジョブズのように毎日が人生終わりの日のように過ごすことが良いらしい。明治維新を経て日本にも多くの文豪が台頭したり、新進作家もその刊行された作品で文化人として頭角を現したりした。現代は破滅的な先の大戦を経て、高度経済成長があって、無為無策の政治家によって日本は失われた時間になり、最近ドイツにGDPで抜かされ、凋落ぶりが助長された。
 経済の為に政治家はその慧眼と審美眼で持って辣腕ぶりを国民に居丈高に見せてもらいたいものだ。ふん、どいつもこいつもエゴイストだ、私利私欲に目を血走らせている。なら僕はどうなのか、僕も懶惰の代名詞であり、淪落の塵芥なのだろうか。
 何を言う。僕は前向きに行動するのだ。塵芥などと、言ってはならない。僕はクズではないし、毅然と運命に立ち向かっているのだ。それが勇姿でなくてなんであろう。僕は眠たくなるまで着想を文章芸術に昇華させている。
 僕は昔学生に醜いなどと言われたり、正岡子規の肖像を見て「これお前?」などと嘲笑されたりした。当時は相手にしなかったが相手にしなくて良かったと思う。彼らは嫉妬と低劣にして下卑た、薄汚れた小男に過ぎない。彼らは今生きているだろうか。自分を忸怩し、罪障意識に駆られてるだろうか。しかしあのような度を過ぎた低能が自分の過ちを直視出来る筈もない、直視したとしても開き直るだけだ。これでは埒が明かない。僕はこのようにして生きている。自らの経験を濃密な白日を吸収させ、天高く広がる広葉樹林のように。

 

                                  〈44〉
 僕は褒められてもあまり嬉しくなくなってきた。その背後に悪意の幻影を感じるからだ。悪意、その存在に僕はどれだけ右往左往し、翻弄されてきたか。僕はこの喜怒哀楽に障害を起こしてるのか。これも統合失調症の弊害なのだろうか。僕はこうなった統合失調症に激昂することも出来ない。僕は元気に生きたい。でも怖い。感情の全てがおしなべて零落している訳では無い。僕は自宅を出て、自販機でペットボトルのコーラを買った。夕飯は食欲がないので食べなかった。これも即身仏への道程なのだろうか。幻聴が聴こえる、ひとまとまりの空前にして、奇っ怪な、渾然一体の塊。僕を苦しめ、この世から僕は退場させようと驕慢な意図が読み取れる。幻聴は時折ブスだの、キモいだのと言う。僕の劣等感に対するものも繁多にある。
 まだなのだろうか、僕はまだ眠くならないのだろうか。実家に帰ったらゆっくり休もう。今もゆっくりしているが。僕は外の人が大きく見える。無論僕はチビではないから単なる錯覚だ。
 明日は僕は電車に乗る。電車。高校時代、僕を友達と自称する奴がいた。僕は彼の下品さが非常に突飛で殺伐で、不条理に思えた。僕は高校時代、多くの期待を裏切ってきた。古文の先生から勉強を教えてもらって頭脳明晰ぶりを見せた。しかしそれから古文の授業では成績不振だった。数学の先生からも数学のセンスがあると言われたりもした。でも僕は戦闘態勢ではなかった。統合失調症のせいで。統合失調症のせいで何もかもが疲れやすさが盛んになる諸悪の深潭に思えた。僕は神に拝跪したが、結局僕は救われなかった。神は死んだのか。現実を生きる男としたら軟弱でいる事は出来ない。それは誤謬のようなステレオタイプである。
 生きづらさを抱える僕と同じ類型の統合失調症の者は非常にこの細やかな神経の爆弾を忍ばせた、そしてそれをしたためた僕の文章。しかし機知に富む性格は必ず手に入れる。悲観や退廃や倦怠のみではない。もっと色んな場所に僕の触手は伸ばさないといけい。あの有名なロシアの風刺画のように。僕は無論、この先も人間関係の大切さを身に沁みるように感じていきたい。好青年になりたいのだ、親分になりたいのだ。この艱難辛苦、前途多難の充溢する人生の中で僕はどうしても生きないといけない。必然的に死ぬ時が来ればただ死ねば良いから。僕は太宰や三島や、芥川の苦悩が今になら言語化出来ないがよく分かる気がする。僕は何とか生き延びて来た、統合失調症も30歳を超えると良くなるらしい。僕はその一縷の望みを大切にしている。
                     

      
      
           療養〈45〉
 僕は一人暮らしで本が読めなくなった。しかしある程度騒がしい外やカフェなら読めないこともない。今の僕の熱量は創作に向けられている。しかし無理に読書をする必要もない。読書とは片手間にするべきものだ。
 また僕は昔大学教授を目指していた。そこで教授に相談したらなろうと思ってなれるものではないと率直に言われた。大学の先輩にはなれるよと言われていたがどちらの見識が信用に値するかは分かっていた。しかし僕は本をよく読んだ。偉くなりたかったからだ。プラトンの対話篇は面白くなかった。数学書なども読んで自分でも数学の論文を書くようになった。僕はただひたすら余計な事を考えず前向きに生きるしかなかった。精神科の主治医にすら顔を覚えてもらえなかったり、友達が中々出来なかったりと大学では不運が立て続けに起こった。
 僕はどうしても偉人になりたかった、それは今では恥辱である。咽喉は枯れ、僕は憔悴した。そして現実的な視点で物事を考えることに決めた。僕は精神科のデイケアでは最初の頃は最年少であった。凌我君、凌我くんと読んでくれて内心幸甚だった。しかし母とケースワーカーとの会話は赤川君だったらしい。この温かみと冷たさのコントラストは見事で大人の技巧の極みである。
 グループホームにもいた事が僕にはある。最初は2回の狭い部屋だった。閉所恐怖症の僕には生命を脅かされる程辛かった。そして宿直との話し合いで一回の広い部屋に移った。しかしやはり合っていなかった。苦手な人から粘着されたり、昼ご飯や晩御飯は精神科で食べないといけなかったり、ルールがあった。当時の僕はまだ身長を気にしておりデイケアナイトケアの大きな鏡が頗る苦手であった。鏡が身長をありのまま示すことはないと分かっていながらいざ鏡の前に立つと阻喪してしまい、七転八倒の末、不思議な不快感が僕の心に渦巻いてしまう。
 僕はニュートンを超えたかった。そして僕の中ではニュートンを超えたつもりだ。僕ヴァ物理学の論文を書いたからだ。僕は段々レオナルド・ダ・ヴィンチみたいになっていくね、とケースワーカーの人に言われた。また、そのケースワーカーの彼から身長伸びたなと大学卒業前に言われた。嬉しかった。それらは嬉々として、生きる微細な糧となる。
 さあ、明日はどんな日になるだろうか。僕の恐怖や不安はなくなるのだろうか。まあ、何にせよ身長や学歴に固執しないことだ、それらは細かい事だ。いい加減に大人にならなくては、堂々と生きていけば男の中の男だ。




                                療養〈46〉
 今朝目が覚めた。9時過ぎに。僕の乗る電車は17時47分だ。15時辺りに家を出よう。余裕を持って行動していた方が良いからな。ちなみに僕は待つのは全然嫌いじゃない。僕はこれから和歌山に帰り、そこで小説を書く。静かな環境、豊かな自然。25歳になって実家に帰るだなんて思ってもみなかった。他の兄弟は県外で頑張っているのに。まあ人には人のペースがある。僕も罪悪感を感じてはならない。今日は少し寒い。上着を着て行こう。僕の家の近くにはバス停があるそこから京都駅まで向かう。その前に夕飯をスーパーで買わないといけない。僕は荷物を既にまとめた。あとは携帯の充電器だけだ。
 夕方発の電車、この電車は一本だけで和歌山の紀伊田辺まで行ける。僕は何度も乗り継ぐのが嫌なので夕方発の電車で行くことにしている。今の時間帯はNHKの高校講座を見ている。朝に出来る事なんて限られてる。パソコンも使えないし、僕はどうあっても多少不自由でも我慢するしかない。
 今は歴史の番組をしてる。僕は勉強は苦手意識があるのだが、こういうのも悪くはない。丁寧に解説がなされている。しかしこれが終わればこれは僕の記憶には残らないだろう。それくらい儚いものだ、人の命のように。僕は今日帰るのが楽しみだが、人が多いのは怖い。大丈夫だろうか。しかし勇気を出さないと。僕の道をひらくのは僕しかいない。多くの人は僕を統合失調症とは一見すると分からない。しかし僕はリュックにヘルプマークをつけている。また僕はサングラスをかけて外出する。今日は天候の悪かった昨日とは打って変わって晴天だ。しかし寒いのだが。今日は良い気分だ。色んな事が出来そうだ。和歌山に帰って病気が良くなってくると良いなと思う。若者は通例、街に、都会に、瀟洒に密集するものだ。僕はそういった法則性に逆行して、統合失調症になり、多くの事が出来なくなり、多くのものが怖くなった。幻聴や妄想を無視できれば良いのだが、人からの視線が痛い。自分は見下されてるんじゃないかと思ってしまう。外は恐れるに足りない筈だ。幻聴なんて最初からない。妄想なんて考えるな。僕は自分を統御して生きていかなければいけない。25歳の大人なのだから。
 テレビも案外悪くない。暇つぶしになる。また僕は電車を待つ間は本を読んで過ごそうと思う。僕は携帯を酷使は出来ない。もし帰る時に携帯の充電がなくなれば由々しき事態だ。いや、今本を精読しても良い筈だ。ゆっくり文字を読もう。カフカの小説でも読もうか。
                      
    

            療養〈47〉   
 昼間の歯磨きをしたら血が出た。少し強く磨き過ぎたのだろうか、多少の出血には目をつむり、歯のセルフケアを僕は続けたい。傲然とそういう枝葉末節についても文章になり得る。
 また僕は傲然とは生きない。僕は周囲を気遣いながら笑顔で生きる。僕は活発だ。僕の母親譲りだ。僕の母親は行動力が突出して優れている。彼女の周りには轟々と居丈高な風がふいているようだ。僕は早く外に出たい。しかし余りにも早く外に出てしまうと困るのは僕だ。多くの人が京都駅にはいるだろうなあ。しかし気にしすぎてはいけない。僕は健康体で生きる。僕に関するあらゆるものを回復させる為に僕は療養していくのだ。
 僕は少しカフカの短編集を読んだ。恍惚の気分になった。夢と現実が入り乱れた、カフカ風の文学作品が僕は好きだ。安部公房も似たようなところがある。安部公房はノーベル文学賞にもっとも近かった人間と言われている。20世紀の文豪であるプルーストやジョイス、そしてカフカに匹敵する程の筆致の良さが安部公房にはある。僕は彼の作品を何作か拝読した。僕は本を読んでいて数冊の愛読書とも出会った。僕は現代文学が好きではない。村上春樹もそこまで、良いとは思えないのだ。
 僕の携帯はまさに小説執筆の手段の一つだ。この文明の利器によって僕は非常に恩恵を受けている。
 僕の文学の骨子は統合失調症の淀みのない、変幻自在な轍そのものだ。僕はどうあってもこのプログレッシブツイストを勇猛果敢なコンテンツとして屹立させていきたい。
 テレビでは興味のない番組がある。しかし静寂も嫌なので僕はテレビを垂れ流している。また遺漏なく行動しなければ僕は実家での生活もおぼつかなくなる。一応荷物を再確認してみようか。
 荷物に異常がないことを確認した。僕は準備万端である。少し寝転んでから出かけようか。身長なんて気にする事はない、1日の内に縮む身長など僅かだ。僕はチビではない。持って行く本はカフカの本のみだ。ランボーも持って行こうかと思ったが、まあ僕には彼の作品は若すぎ、刺激的過ぎる。若さとの決別の一里塚を考えなければいけない。10代から20歳の少年、青年の書いたものを礼賛するのはかっこ悪いと思う。これは偏見だろう。しかし偏見すらも一時的には諸手を挙げて受け入れ、その後の偏見の処遇を一度受け入れた状態で考察し、処理すべきだ。
 僕は大人だ。いつまでも慄然と、または愕然としない事だ。僕はどうあっても男だ。統合失調症の男とはこれ程までに偉大になれるのだと芳烈なポテンシャルを示したい。それで世界はパラダイムシフトが起こるのだ。

   



                               療養〈48〉
 僕はスーパーで夕飯のおにぎりを買った。今僕はバス停でバスを待っている。大学生らしき集団と中年の男がいる。長身の人も割と多い。僕はまだバスが来ないだろうかと思っている。京都行きのバス。京都駅行きのバスが来た。でも満員で乗れなかった。まあ早めに家を出て良かった。時間ギリギリに出たら大層周章狼狽したことだろう。外は暑く着てきた上着はもうバッグの中だ。京都駅はこんなものじゃない、緊張するな、僕。僕は堂々としていれば良いのだ。しかしバスは来ないなあ。停留所には多くの人がいるのに。僕は錯覚だろうか、多くの人より背が小さく見えた。
 前のバスには多くの人が雪崩のように乗り込んで行った。新しいバスが来たので僕は乗った。このバスが携帯のリサーチでは最適と出たからだ。バスの中には人が多くいた。僕は座るスペースがなかったのでバスの前方の部位に行った。
 バスでようやく座る場所が出た。僕はヘルプマークをつけてるので優先座席に遠慮なく座った。僕の悪口が聞こえる。「くっさ」、「死ね」などだ。僕はやっぱり十分に統合失調症が良くなっていないのだと思った。バスの外の景色は光彩豊かだった。僕は視覚過敏があるのでサングラスをかけている。まあ日が落ちたらもう必要なくなるのだが。今僕は何か忘れていないか不安になっている。何度も荷物を確認したので大丈夫だとは思うのだが。僕に関する毀誉褒貶が突如として聴こえるなんてあり得ない。僕は勇ましく生きるんだ。今はまだまだ目的地まで距離がある。僕はその事を考えて、心を無にするようにつとめた。そうだ、心を無にすれば良い。
 携帯の充電はまだまだ持つ。僕は人々から悪罵をうけていない。京都駅まではまだまだだ。しかしさっきのバスの混雑ぶりは今僕が乗ってるのと同じくらいだったな。バスの中は多国籍の色を帯びていた。英語もあったが僕はネイティブでも、特殊な訓練を受けている訳ではないのでそれほど真剣には聞かなかった。
 僕をデカイと、高身長と言ってくれる人もいる。僕の主観より僕は彼らのその証言を信じる。外はあまり風は吹かない。ただ蒸し暑い。僕は家に帰ってのんびりできるだろうか。僕は25歳の大人だ。両親に対し負担をかけないようにしなくてはいけない。僕はちゃんと必要な荷物を持っていけているのだろうか。それが僕は甚だ不安だ。バスの中では大きな動きも起こせないし。バス内の経済関係、この調子だと京都駅で降りるのが大半か?



                                療養〈49〉

 京都駅に着いた。バスから降りる時、変な癖で背伸びしながら降りたせいで怪我しかけた。今度からは気をつけないと。怪我したり、ものを破壊したりすると困るのは他の誰でもない、僕だ。僕は変な癖を根絶する為に常識を墨守しないと。先程も「赤川君だ」なんて声が聞こえた。僕は有名人ではない、その声をした方向を見ても誰もこちらを向いていなかった。変な自信を捨てる事だ、僕はそれほど素晴らしい人間ではない。そしてしっかりと人としての責務をこなす。
 京都駅は案の定、人の大群であった。僕は怯えた、こんなのずっと引きこもっていれば縁のないことである。電車は着きそうにない。僕に尿意はないだろうか。少しある。ならトイレに行こうか。まだまだ時間はある。
 トイレに行ったが残尿感だけで何もでなかった。僕は、本当に何をやっているんだろう。スマホをポケットに入れたままトイレに入るしさ。僕は自分が分からない。分からないまま生きている。身長なんてどうでも良いじゃないか、見方や角度でどうにでも見える筈だ。僕は母親やしょうじさん、祖母の言うようにイケメンで高身長なのだ。ただそれを意識しすぎると、都合の悪い事が立て続けに起こる。
 同じような失敗をする割に反省をしない。それは僕の短所だ。僕はどうにかして短所を克服しないと。もう僕は今日は何も書けない。何か書けるだろうと期待して文を綴っているのだが、僕は本当に何をやってるんだろうね。惨めな男だ、先程は小男にも見えた。人の多さが僕の惨めな症状に拍車をかけている。
 夕飯は既に買ってある、電車内でそれを食べよう。しかし僕の調子の悪さは並大抵のものではない。僕は何故か最悪な気分だ。何故か?人がいるからだろう。外出する前からそれは分かっていた事だ。
 誰か僕を助けてくれ、僕をこれを書く僕を。しんどいので死にたい。電車を見ると飛び込みたくなる。いや、駄目だ。死んだら駄目だ。そんな事誰でも言われてきている事だ。
 大勢の人々が京都駅にはいる。実際外国人が僕の近くに座っている。確かに今は日本には来やすいだろう。空前の円安だし。まあそれでも僕は生きるしかない。鉄道自殺なんて大変な損害がある。首吊りも、オーバードーズも駄目だ。死んだら駄目だ。死んだらそれまでだ。這いつくばってでも行きなくてはならない。僕は恥の多い生涯を送ってきた。
 お願いだ、誰か助けて。こんな発想でビートルズのヘルプは出来たのだろうか。僕は自分が思う程駄目な人間でも、大したことない人間でもない。それは昔塾の先生から言われた事だ。




                                 療養〈50〉
  僕は猛烈な尿意と闘いながら、今帰りの電車に乗っている。揺れられると、尿が出ない。どうにかしてほしいが、他の乗客に迷惑をかける訳にはいかない。次の停車駅はまだ遠い。こんな目にあうことは目に見えていた事だ。それなのに、僕は帰省を決断した。
 しんどい、この言葉は今回で何度目だろう。自分の意思で生きるからにはそれに即した責任をも背負う必要がある。そんなの分かっていた話だ。
 やっとトイレが出来た。本当に出来て良かった。電車内は夕陽に当たり、今は非常に安らかな時間だ。僕が幸福になる為にはどうすれば良いか。誇張をせず、されど自己愛を忘れない事だ。長身美人は自分に釣り合う男と必ず一緒になる訳ではない。別にチビではないのだから、身長なんて気にするな。僕の弟なんてもっと小さい。僕の家族は僕と母方の祖父以外全員小柄だ。その中では恵まれてる方だ。
 特急で段々と乗客が増えてきた。書くことに嫌気がさしながらも僕は書かずにはいられない。これは僕にとっての呪いなのだろうか。何だか今日はやけに多くのものが大きく見える。これは僕の身長が縮んだからではない。身長が縮むのは老人になってからだと、僕の母が言っていた。大体一度伸びた身長が縮む訳がないとも彼女は言っていた。僕は頑張って生き続ける。僕にとって重要なものは何か。何を取捨選択すべきか。
 僕はもう自分を偽らない。僕は自分を褒めてくれた人を信じる。逃げない、絆の力ならきっと大丈夫だ。
 自分を認め、愛する事。僕はそれだけで、今は満足すべきだ。夕飯は買ってあるが、それは実家に帰ってから食べよう。
 また僕には祖母がいる。祖母も僕を応援してくれてる。昨日も彼女から電話がかかってきた。しかし、この小説ももう潮時かも知れない。疲れ果ててきたから。
 また僕を応援してくれる人は僕の家族だ。実家に帰ったら癒やされよう。そうしていく中で満足を感じよう。そう言えばさっき、女子生徒のような出で立ちの娘がいた。彼女は何かの遠征だろうか。制服を着ていた。また外国人客も結構多い。日本人客と拮抗する程の人数だ。
 僕は自分のブログのフォロワーに一喜一憂している。こんなものでは駄目だ。僕はもっと豪胆に生きなければ。
 電車は漸次的に紀伊田辺に向かっている。また今日は多くの人前に出て非常に疲れた。帰ったら休もう。明日からは念願の実家療養だ。僕ならきっと上手くいく。
 でも今日みたいな刺激の多い日はもう嫌だなあ。一時的な帰省ではあるが、僕は家族のいる和歌山が恋しい。