療養〈25〉

 「凌我、君は何をしたいんだ」幻聴がそう僕に語りかける。

「僕は健康で幸せでいたいんだ。歯にも注意をして、酒もほどほどに」

「そんな人生が本当に畢生の願いなのか?君は少年時代に大仰な理想を掲げていたじゃないか。そして熱意に燃えていた。自分なら何でも出来るという選民思想。君は傲慢だった。そしてその傲慢をつゆほども隠さなかった。君は恋愛が出来た筈だ。君を想う人はいた。下駄箱にラブレター、ほとんど告白のような女子からの年賀状、だけど君には興味が持てなかった。同性といる方が安心出来たからだ。安心感、それを異性の中に見出したのは僕が19歳の時だ。僕は長身美人と一緒にいると、堪らなく愛らしく思えて、優しい性格だと錯覚される。僕のところに長身美人はアプローチしない。僕も緊張してアプローチ出来ない」

「何だ君は?君は僕の平素の生活を観察していたのか、僕という一人称。僕にしか知り得ない情報だ。僕と幻聴は同じなのか」

「そうだ、凌我、僕はお前と同じだ。君の自我には隙間が出来ている。統合失調症の理論ではそう言われている」

「なるほど、しかし明確に分かれていない所を見ると解離性同一性障害という訳ではなさそうだな。今日はヘルパーの樋口さんが来る。それより日本のソフトパワーは昨今ではすごい破竹の勢いだね、軒並み。しかしどこまでが真実なのかを見抜く慧眼は僕にはない。日本語という孤立した言語で得た情報がどこまで正確なのかは分からない」

幻聴は笑った。嘲笑とも、苦笑とも、憫笑とも言えるような笑いだ。彼の姿はない。声の主は僕が勝手に作り上げた存在だ。ありがちな話だ。幻聴なんて統合失調症以外でも聴く人はいる。

僕は言った。「僕には夢がある。歴史に名を残すという夢だ。その為にこれまで砕身の努力をしていた。しかし少し無理をしすぎた。休むべき時に休み、行動したい時に行動しよう。僕は現に行動力があると言われている」

「なるほど、君は波に乗っているんだね」

「下卑た物言いなんて度外視だ。僕は細かい事を気にせず縦横に生きる。僕はそう決意している」

「凌我、多くの人が君に注目しているという誇大妄想があるだろう?誰も君なんかにそこまで注目していないよ。そこの認知の歪みは治さないといけない。僕は実際、人を恐れているのではない、幻聴や妄想を恐れているんだ。だから外にはあまり出られない。不穏な空気はない、今は泰平無事だ。それなのに僕は何故脱力しているのだろう。何もないから痴呆になっているのかな」

 淪落の先にあるものは如何に。