療養〈1〉

  僕は今精神科にいる。穏やかな場所で咆哮や慟哭は聞こえない。医者は爽やかな人で短時間だが僕の言ってる事に耳を傾けている。僕は統合失調症になってもう10年以上である。今まで障害で勉強もおぼつかず、仕事やそれにまつわる挑戦も転々としてきた。また僕だって黒歴史はある。葬りさりたい過去が。僕は多くの人に影響を与えようと日々ブログを書いている。その中で色々良い効果が僕の人生に出てきた。僕はよく自分について大丈夫だと言うが本当に大丈夫なのだろうか。また僕は実家に帰り療養した方が回復のペースも早くなるのではないかと思う。統合失調症の治療と平行して、高校を6年かけて卒業した猛者もいる。

 しかし災い転じて福となす、だ。僕自身の統合失調症の病的動力を十分に得た作家は独自の世界観や視点を有する場合が多い。僕だってこれまで多くの事をしてきて、才能もあると言われている。携帯をいじる事、これは過去では想定されていたのだろうか。僕はSF黄金時代の作品を耽読した事もないし、つまらないと思う。推理小説も同じである。

 僕は自分の姿を見るのが嫌なので、ガラスや鏡を見ないようにしている。それが最善である。醜形恐怖症なのだろうか、僕は。まあそんな事はどうでも良い。本当に、どうでも良いのか?まあまず、保留である。その事を考えても進展が見られるとは思えない。

 精神科の待合室での時間、僕はこの時間は嫌いじゃない。今日はメモに言いたいことをまとめてもいない。

 過去僕が入院していた精神病院でほ患者が自分も含めて入院患者は失われし人だと言っていた。それは主観が多分に入ったことなのだろう。しかし当たらずとも遠からずである。また、僕の周りには人が集まるようにもなってきた。なにか不思議なパワーを僕から感じたのだろうか?それとも単に気にしすぎだろうか?僕には分からない。それでも多くの人が幸せになれればなあと思う。僕の今の平穏無事な日常、コンプレックスにも対処する事が出来ている。前向きに考えることも出来ている。前向きさは社会的には生産的な事だという事で重宝されている。僕もいつまでも前向きでいて、同じ病気の人、のみならず健常者も優しさや、慈愛などで包み込みたい。

 僕は最近実家のラジオを聞いて会話の練習をしている。大体分かってきた。今の僕に必要なのは勇気だ。勇気があれば、何だって出来る。なんて単純な教条だろう。しかし僕はそのように思っているのである。