5月の獅子〈3〉

 僕は昔大学に通っていた。キャンパス前でこれ見よがしに僕の変てこな、身長を気にした歩き方を僕の眼前で模倣する人もいた。僕はワンダーフォーゲル部にも所属していて、そのサークルの中の一人と京都にある山に登った。僕は当時グループホームに通っていた。その山に行くまでの道のりが僕には毛頭分からない。僕はその人に色々と道順だとか、料金だとか問いただした。僕は京都に住んでいる、現在もそうなのだが。僕は京都の地理が全く分からない。何も大きな冒険した事もない。僕は大学一年の頃金閣寺に行き、二年の頃清水寺に行った。僕は刹那的にだが大学にも友達がいた。彼らは良い人達だった、一人は175㎝の身長の男で、また一人は身長173㎝の男だった。僕の成長前の姿では彼らのその姿が非常に大人らしく見えた。僕は自分が大人になっても魅力的にはなっていない事に負い目を感じていた。五月の今の時期に僕はそれを思い出した。何故なら昨日の夢に彼ら友達だった人々と昵懇になる夢を見たからだ。非常に陽気のある夢だった、しかし僕にはもう手遅れである。大学は卒業してしまった。僕は引きこもる中でこうして執筆している。自分の経験を変化させようと、こうして私小説に書いているのである。大学時代は僕の統合失調症による対人恐怖によってサークルからも離れていった。多くの人々は僕を歯牙にもかけなかった。それでも僕は希望を求めていた。だから精神科のデイケアに通ったり、薬を飲んだり、入院したりしていたのである。

 僕は自分の体力に自信がない。今は絶対山岳には登れないと思う。高校時代は山岳部に所属して絶景を写真に収めたりした。紀中の新聞にも載った事もある。僕は当時イケメンということでちやほやされていた。それに反発心を抱く連中もいた。男女問わず。僕は彼らに陰湿ないじめを受けた。キモイ、不細工、などと言われた。死ねとも言われた。僕が一体何をしたというのだろう。ただ穏やかに過ごしたかっただけなのに。僕は失意のどん底にいた。当然勉強もそのような脳みそでは出来る筈もない。四六時中被害を受けている事を自覚するのだ。僕はどうしてもこの病気を知りたかった。そして図書館に行くと統合失調症の記述を見つけた、おそらくこれなんだなと僕は思った。主治医にそれを聞いたりもした。すると先生は首肯した。君は統合失調症だが、若い頃は精神病の名前に引きずられて人生棒に振る可能性があるとの事で長きに渡って僕に統合失調症と言っていなかった。

 大学時代は白人の英語圏の先生もいた。僕はあがり症なのか、彼らの言っている事が分からなくなる事もあった。日本語でもそうであった。統合失調症の影響がそのような日常に深い影を落としていたのか、僕にはさっぱり分からない。しかしそれでも僕は知的好奇心が旺盛であった、多くの関係のない講義を受けたり、面白そうな講義を受けたりした。僕の出身大学では有名人なども呼ばれて講演会を行われたりもしていた。僕は彼らのような偉い連中がいけ好かなかった。僕の反骨精神からだろうか、それとも単なる妬み嫉みなのか。僕は大学時代に卒論を書いた。僕が卒論に取り組んでいる最中、僕は大学を今年に卒業出来ないのなら自殺するなどと脅す事もあった。教授も当然その事を心配し、僕に色々とアドバイスをしてくれた。精神病院から退院した大学二年の頃にも僕は彼と話した。彼は僕を過小評価していた。弱者と言ったり、突き放すような侮辱を僕にした。したがって僕は彼に好印象を持っていなかった。僕はもう知的活動を大学四年の冬休みにしたくなかったから、教授との卒論の相談はしないと断言した。すると彼は残念だね、と言った。残念なのは僕に優しくしなかった、統合失調症である僕を泣かせたお前らだろうがと僕は憤怒に震えた。僕はゼミで自分の途中の卒論を発表した。そこで幻聴なのか、被害妄想なのか酷い罵詈雑言に近い事も言われたりした。僕の言っている事を彼らは寸毫も理解していなかった。僕は悲しく、やるせない思いに包まれた。

 僕は歯磨きをする際に、強く力を入れ過ぎて血が出る事が多い。僕はもっと優しく自分の歯に接しないといけない。歯周病だろうか、知覚過敏が台頭し、僕の生活は少し困っている。これは甚だ僕自身の習慣の悪さによるものであるだろう。

 また僕は生きている意味などは僕にはないと思っている。歴史に名を残すという大望、そんな大それた思いを僕は抱かないようになった。僕は本当に高尚な人間ではない。凡人だ、傑出した才能もない、書くものも露悪的だし。

 僕はしかしここまでの人生の中で非常な挫折をしてきた、当惑するような事が起こった。コロナウイルスの弊害、そして閉塞的になっている程の円安。日本は安い旅行先になった。それによりインバウン丼なる、観光客に向けた物価の食品もあって、それが顰蹙を買う事を当局は理解しているのだろうか。僕は生きている、それでも。

 甚だしい悲観的な人生なんて僕にはいらない。僕は笑顔でいたい、僕は家族を大切にしている。僕なら懸命に生きていける、彼らと共になら。僕は可愛い自分の息子、娘を愛息子、愛娘にしたいのだ。僕は好きな人と結婚をしたい、その前途に幸福を見据えながら。しかし品性下劣さは他人には見せない方が良い。僕の小説は殆ど妄想を形にしたものだ。

 大学時代の経験を私小説にしたってそれが何であるだろうか。僕は何度も何度も飽きもせず類似した作品を投入し続けた、それにより読者は辟易したり、閉口したりしてきただろう。僕は諸氏に申し訳なく思っている。

 いい加減な人間に人が集まるだろうか。僕は元気に他人を牽引しないといけない。しかしそれは文化上の事、学問上の事でしか出来ない。僕の力は微力である。僕はどんなに調子が良くなっても統合失調症が治る事はない。統合失調症はいわゆる不治の病だ。その中で何が出来るか、どうさばき、どう器用になれるか。しかしこの病は鈍くさい人々が多い、そして僕もその一群に隷属している。僕なら何でも出来るだなんて思わない。僕は鴨川沿いでそのような事を考えていた。川には生物がいた。鳥もいた、小動物もいた。多淫な草原もあった。僕は暮らしやすいこの場面で苛烈に魂を燃やしていくしかないのか。僕は自分自身に厳しいとよく言われる。何のためらいもなく美辞麗句を言う人々、彼らの奸計に僕は巻き込まれているのかも知れない。見えない悪だくみはどこの世界にも跳梁しているのだ。

 遠くの岸辺ではおじさんが半裸で、川につかっている。また別のおじさんはベンチで半裸で横になっている。ワイルドですねえ。僕はそのような事を実行に移せる着想も胆力もない。この世はまだまだ勇ましい人物が多いから大丈夫、彼らに力を、有能に力を。腐敗した社会は彼らのメスによって精密に手術されなくてはいけない。それにいたるまでには文化の側面での革命が必要だ。童心を宿した、そしてそこに情熱も同居している大人は非常に稀少である。身近にいると心底嫌な奴でも、功労者として国の恩恵を受ける事もあるのだろう。僕は社会について考えながら、レッドブルを飲んでいる。わんこの散歩をする人々も大勢いた。僕は人々を愛した、日常を温和にしている美しい彼ら生物を僕は愛↓。僕はやはり小説を書く以上、人についての病者に巧みでないといけない。その中で僕は五分の力不足を感じている。僕のような青二才はどこにでもいるだろう。レッドブルの酸味と甘みで精神的に不安を定着した。

 僕は少年時代、祖父や祖母に愛された、両親にも無論愛されていた。僕は特に彼らの家に泊まった事があった。それは長逗留ではなかったが田舎の神秘を真髄まで僕は味わえた。また父方の祖父には高価な買い物をしてもらった。僕は彼らが老齢であるからこそ、自分より早く死ぬ事に非常に苦悩した、何度もその情景を想像するだけでどんよりとした気持ちになった、あんなに良い人達が死ぬのだ。僕は何度も何度も泣いた。しかし統合失調症以後、そのような突発的、衝動的な感情の爆発は見られなくなった、それは感性の零落であったのだろうか。僕にとって重要な記憶は何だろうか。僕は自分の嫌な記憶をすぎさるのを待ちながら鴨川を眺めていた。僕はこの平穏無事の中で療養が出来ている。療養生活では余裕が肝要だ。僕は自分の人生に焦燥感はいらないと思う。臆面もなく休んで良いではないか。僕はそれでも大丈夫だと思っている。

 高校時代の僕が通っていた塾講師は僕が死にたいと言ってもそれを頭ごなしに否定したりしなかった。相違時期には覚えがあったのか、それとも大人としての威厳を示していたのか。僕は高校時代全く成績が振るわなった。当然である、多くの統合失調症当事者も似たような経験をしている事だろう。僕はやはり統合失調症が激甚であり、水爆的であり、破滅へと誘導した張本人であるから、それ以前の記憶が非常に薄まっている。僕は人間関係がすっかり苦手になった。それでも気丈に振る舞うべく傲慢なキャラを演じるしかなかった。僕は誰かに愛されたかったがその傲慢と言う仮面を被る事で非常に内心傷ついていた。僕は矛盾が嫌いな人間だ。その割には僕の人生や作品などは矛盾に満ちているが、少なくとも僕は秩序整然な世界を愛した。僕はその世界を描ける事は出来なかった。そしてそのような世界を創る人々を僕は非常に畏敬していた。未来がどうなるのか、僕はSF小説などを書いた時期もあったがそれは何にもならなかった。僕は往来を歩きながら、その怒涛の如き主張を進めていた。僕は自分を映す鏡やガラスを嫌っている。僕は非常に自分が醜く思える。しかし周囲によると僕は端整な顔立ちらしい。そのずれが僕にとっては嬉しいような、悲しいような、気分にさせるのである。僕はこの物語を生きている、しかし僕の半生なんてよくある話だろう。

 実験的に日常を小説に書いている事。それこそが文豪の奥義ではないか。僕はその奥義を踏襲し、彼らの諸作品を翻案し、換骨奪胎し、温故知新し、生きているのである。昔に勇ましい精神の持ち主がいなかったとすれば僕の今の文明生活は成り立たない。僕はどうしてもそう考えてしまう。人間は集まれば大いなる力を発揮出来るが、かえってそれが根無し草のような、長い物には巻かれろ精神、同調圧力の跋扈に直結する場合もあるのではないかと僕は考える。僕ならきっとこの世の中をよりよく出来る、それを作品内で語って何になろう、如何に技巧的な弁舌であろうとも誰にも読まれなければ意味がない。僕はその孤独感を味わいつくしている。僕の非力さ、統合失調症を破滅に追い込む事は自分を芸術家としての破滅に追い込む事と同義なのかと僕は最近考えている。僕のこの創作意欲も統合失調症による狂気によるものだとしたら?僕は実際に繁多に、小説を書くようになったのは統合失調症以後であるし、そのエネルギーは違う身長コンプレックスなどにあてられる場合もあった。僕は人間同士の諍いを嫌った。戦争なんてものも僕は書かなかった。実際に戦地に赴いた人々、戦時中を過ごした人物でないと戦争の恐ろしさは机上の空論である。しかし戦争で辛酸な眼に会った人々の証言もどこまで信憑性に足る話なのかも分からない。メディアが大嘘をつき、国民を洗脳し、政府でさえも、弱腰になる。我が国日本に誇りはあるのか。僕はどうして良いのか分からない。きっとこれからもどうして良いか分からない日々もあるだろう。

 京都での多くの景色、そして外国人の奔流。僕の近所でも白人などが歩いている。僕自身もやや品位ある、異国的な顔立ちと身長のおかげか背の高い外国人と本屋の女店員に呼ばれた事もある。僕の大柄さに驚く人もいたがそれは昔の話だ。多くの2m以上の長身の外国人が来て、僕のような存在は非常に彼らと大差のないように感じられるようになった。バスケ選手なら2m以上は珍しいものではないだろう。僕もこの大柄な体躯で学生時代に戻れたら恋愛的には充実していただろう。しかしその代わりに反骨精神も、反権力も十分に培われず今のような豊饒な業績はなかったと思う。今は時代が僕に追いついていないのだ。時代さえ追いついていればきっと。僕は何て不憫で情けない妄想をしているのだろう。かえってその理想により僕は醜くなり、矮小に読者諸氏には見えるに相違ない。