私小説を書きたい

 僕はこれまでの半生において幾つもの文学作品を手掛けてきた。今までは妄想だったり、統合失調症の瑞々しい筆致で、物語を書いてきたが、最近はそこに変更を加えようと思う。僕は私小説を書きたい。短編の私小説を。僕の神経は非常に破綻しやすい。それ故、短期間で完成させられ、身近な生活も文学作品として結実出来る手段があるのだから利用しない訳にはいかない。僕はこれまで自分に書ける作品を書き続けてきた。それはもう辞めだ。僕にはもう人生そのものに取材しないといけない。遺作の翻案だったり、二番煎の統合失調症敬虔だったりでは僕独自の世界観を完結させる訳にはいかない。僕も通常のレールに乗る時が来たようだ。そして文体でもこのネット上では何度も改善をしてきた。僕の文体のどれが正解なのか、僕には分からない。けれども全力で書いていこうと思う。たとえ誰にも読まれない物語だとしても。僕は敬虔な宗教徒と同じくらい、超自然的なものの力を信じている。シャーマンとなって、ジムモリソン以上の文学的変身を僕は遂げたい。彼には出来なかった地平を開拓していきたいのだ。僕は統合失調症そのものではなく、統合失調症によって無差別に甘受する現実に取材したいのだ。

 僕だって偉大になりたい。しかし偉大になる事で傲岸不遜になるのは回避し続けたい。僕は過去、迂愚で、痴呆だった。病気に凌辱され、隷属するだけのただの患者だった。しかしそんな僕でも回復し、再起が果たせた。そうしていく中で人生を縦横無尽に疾駆する事の精髄を吟味する事が出来た。過去の僕は嘲笑されていた。それは井出達が良くなかったからなのかも知れないし、単に爛熟していないが故の青二才っぷりが遺憾なく発揮されていたからなのかも知れない。その真相は僕には分からないが。僕は自分の個性を確立した。この僕と言う一人称にも僕は固執している。僕のキャラに合っていると思うからだ。私小説を書きたい。それは僕の身近な経験を単なる記憶の奥底に沈殿させるより作品として享楽されれば幸甚だと感じるからである。僕には希望がある。燦然と輝き、見る者に勇気を与えるようなそんな希望が。

 僕は眩暈を定着した、襤褸はさらに敗れ、ねぐらに帰っても十分な静寂は見られない。しかしそれでも自立して生きていく事が出来ているのは僕が統合失調症の中でも非常に卓越した、驚天動地の、天変地異の存在であるからなのだと僕は一片の倨傲を持って信じている。同じような事をしている人はいても、僕は自分の活動に自信を持って、輝く事、それにより社会や人類を刷新する事を考えている、それは今までの十分なインプット、十分な多方面への踏襲があったから可能な事だと僕は信じたい。単なる典型的な単純な方程式

としてではない、微分方程式のレベルに僕はアウフヘーベンしないといけない。私小説の形として。