読者には前後関係、文脈を知らないのでしょうがないかも知れないが僕はこの数年間で指数関数的にユニークな存在になった。僕派元々中学の頃にユニークな人だと認知されていたが、鬱傾向の到来と軌を一にして僕は自分を出せなくなった。あらゆるものが叫喚に満ちたものに思えた。僕は失速し、正常な判断を失い、高専に進学した。それからの僕は文学に没頭する、声の小さい、成績も芳しくない存在であった。生きるのがしんどくなりいつも部屋でメソメソと泣いた。浴場でも泣いた時もあった。人生リセットしたいと思った。しかしその頃の苦渋に歪んで屈折した体験がないと今の僕はない。僕は色々と誤謬を犯す、意気揚々と発信した事が的を射なかった事も多い。僕は未だに青二才で、侏儒で、白痴で、痴呆で、産業廃棄物で、無用の長物で、夾雑物である。豪傑や賢者になる事を夢想しながらその時は一向にやって来ない。ならば己を磨こうとこうしてアウトプットしたり、明るく振る舞ったり、笑顔でいたり、認知行動療法をしたりしている。ユニークさは今後も、肥大化してゆくだろう。そして中学時代以上に居丈高に仁王立ちし、巨大な存在感が幅を利かせ、大規模に影響を与え、時流を作り、時代を作り、成功のスタンダードモデルになる、と豪語、大言壮語してみる。