僕は笑顔を増やして、明るく生きていきたい。その事に負い目を感じたくない。無職でも歯牙にもかけず生きていけば良い。歯に衣着せぬ物言いで一々落ち込まなくて良い。これは読んでくれてる皆にも言ってる。皆は繊細で感受性が高い。このブログを読んでるのがその証左。ここの読者は皆本当は優しい。天の邪鬼だったり、性格に一癖も二癖もあるかも知れない。それでも僕のような統合失調症の言葉を見てくれてる。それだけで僕は幸せだ。優しく、慈愛の精神を持って生きていく事の何が悪い。斜に構えて、ぶつくさと悲観論を言ったり、行動に起こさず停滞し、わだかまりを得て、八つ当たりする。自分の母集団よりもまず自分の品位を大切にするのが大事ではないのか、冷酷無比な人にはそう言いたい。病気のせいでユーモアが台無しになる事にも日常の魔力で解決させてゆく、絶対に。僕は臆病者じゃない、この社会のうねりの中、揺蕩うこの激動騒然の社会を、霊障侮蔑の捻くれ者に如何に悪罵されようとも生きていく、気にせず、力強く。僕には僕の強さの証が大量にある。


 僕は病気のせいでユーモアが影になってる。明るくユーモラスに努めようとしても激甚の苦痛を伴う幻聴などに代表される症状が僕を徹底的に痛めつける。それにより何も感じられなくなり、自分自身も悪に染まってゆく。デスノートでも同じ事を言っていたよね。でも僕はキラのような殺人鬼ではない。


 多くの人が世界に同居し、国があり、美風があり、文化があり、哲学があり、ソフトパワーがある。日本はまだ捨てたもんではない。いつも、笑顔、笑顔。無理にでも僕は笑うことを努めている。陰気な顔を陰鬱に沈む顔をしていても幸福にはなれない。むしろ不幸のセンサーが起動しちゃって余計自殺へと魂が流れる。こんな不条理があるか。僕は文化的にも日本全国、津々浦々、各人が己を刷新していかないと行けないと思う。死屍累々の先達を思えば奮い立つような気持ちに僕はなれる。僕は短文であったり、長文であったりする日記の側面を持つこのブログをもっと充実させていきたい。1000記事も達成するのは並大抵の努力ではない。僕は不可能を可能にしたのだ。


 僕は伝えたいことがまだまだある。でも口頭で話すことブログでの筆致はかかる負担がまるっきり違うね。今後の未来を明るくするのは気鋭にして精鋭の戦士である。こういうと厨二病呼ばわりされるだろうか。しかし盲滅法の態度、少し天然の入り交じる時代の代表者が必要だ。私小説風に胸の内を騙ることで僕は多くのかけがえのないものを手に入れた。それは達成感もある。読者との熱い絆も。不可視のものこそに深淵があるのだ。僕は物事を理論的に捉える傾向があると言われた事もあるがそれは変わっただろうか。日本経済は淪落の様相がより激しくなっている。僕の日本政府に対する態度は旧態依然である、あの頼りなさと言えば形容しがたい、筆舌に尽くしがたい。僕は無論犯罪などはしない。青葉という人非人の所業により驚天動地であるように刹那的に察せられたが人々は多忙の中で不幸なニュースを忘れ、流動の中に埋没していく一方だ。まあ青葉のような如何に理不尽な被害を社会や周辺から得たとしても先に手を出した方が負けなんだ。だから高専時代の僕の頭を渾身の力で殴ったあの低能、肥大化した塵芥こそが、灰燼に帰す負け犬なのだ。


 結局、この場で愚痴のようなものを言ってしまった。これでは読者の心証も悪くなる。しかし僕が再三再四、目下心がけている事は何でも良いからストレスを発散することだ。まあ大前提として常識の範囲で。有象無象が、衆愚が跳梁するこの社会。僕自身も手厳しく十把一絡げにそう見られているだろう。でもユーモラスに、僕は生きていきたい。今回の記事は雨の日のようにしんみりとしてしまい、誠に申し訳ない。