僕は生きている。そしてその尊さも分かっている。僕の親類縁者もいつか死ぬ。それを考えると慄然としてしまう。僕は今ゴロゴロしながら記事を書いてる。弛緩した調子で書けるので甚だ楽である。生きていくのもたまにはしんどい。でも諦めずにやっていけばきっと良いこともある。禍福は糾える縄の如し。その俗諺の意味も染み入るようだ。僕はユーチューブ動画を垂れ流しながら孤独感を忘れ、悦に入っている。僕は昔友達を笑わせた事も多い。アニメのキャラクターになりきって行動していた事もある。今から思えば痛い人である。物騒な事もしてきました。自分では責任も取れない癖に。生きていく中で統合失調症になり、今も働けないか働いても続かないケースが続いている。僕もヒカキンのように好きな事で生きていくしかないのか。時代には時代に呼応した幸福や生き方がある。オートメーション化やデジタル化では日本は後塵を拝している状況だ。日本が灰燼に帰していくさまを見るのは忍びない。色んな生き方がある。僕は自分に自信を持つべきだ。端整な顔立ち、巨大な体躯、横溢するユーモアスキル、高いコミュニケーション能力。僕はこれらを活かせば社会で十分にやっていけるポテンシャルがある筈だ。


 横になるのも悪くない。しんどい時は、横になれば良い。休み休み生きた方が良い。また僕は高校の勉強に劣等感がなくなった。参考書を読み、記憶し、理解する事で視野が広く、心も爽涼になった。僕は僕なりにこうして生きています。危急存亡なんてまっぴら御免被る。僕には文才がない。しかし僕の魂の躍動は伝わって欲しい。僕は恋文を書くように丹精込めてこの文章を書いてる。