閉ざした心を開けること、僕は唐突に闇に懊悩するようになった、過去に。長い間自閉的で、意思疎通も苦手で、人を愛していながら人から離れようとしていた。二律背反である。或いはアンビバレントである。僕は陽キャラになろうともしたことがある。しかし気力も体力もまもなく底をつき、また統合失調症の症状が出始めるようになった。やることなすこと全部裏目に出て、自分も好きになれなくて、日々煩悶したり環境を転々と変えたりした。死にたい時もあった。ある人からすればその心理は甘えであるらしかった。精神科のデイケアにも通っていた事もある。中には東大卒の人もいた。彼は柔和で親しみやすい顔立ちをしており、中背の男だったのだが僕は彼から学問の事や音楽の事を教えてもらった。また学問については彼が京大大学院の哲学専攻、ドイツ観念論のシェリングを研究していたので哲学については彼は無知蒙昧な僕の世界を広げてくれた張本人だ。


 またチェスもしたりした。僕は一騎当千の実力を持つチェスの名手だと思っていたが、実際チェスの棋譜で勉強していたのだが結果はある人に敗北を喫してしまった。社会は甘くないことを必要以上にデイケアで学んだ。グループホームにいた時は食事はデイケアナイトケアで取ることが強制だったのでそれに僕は従った。しかし夜は非常に不安になったりもした。入り口のお手洗いの大きな鏡も気に入らない。僕はグループホームで苦手な人がいて彼が僕を非常に好意的に意識していた事実を僕は不快に感じた。何故と言えば1日に何度も咆哮するような人間で常識力も欠けており、行動も解析不可能で神出鬼没だったからだ。


 最近である、閉ざした心を開いてユーモアで人を幸せにしようと一念発起したのは。僕はどんな差別もかいくぐり、前時代の轍を気にも留めず悠然と生きてゆく。キツツキが木をつつくのと同じようにセミが抜け殻を脱するのと同じように自然の中でもやはり人間の取る行動は包まれる。人類滅亡するのは不可避だろう。だからこそ居住地を地球以外に移すと言うのがイーロンマスクの企図である。僕はお笑いの道に進むのも良いと言われた。僕は元来気の利いた事を言えるような人間ではない。しかしその苦手を克服して脱皮するのだ。ニーチェは言った、噛め!噛んでしまえ!そして僕は噛んだ。僕は人間ではなくなった。超人となったのだ。


 道徳規範を超えて先駆的な大事業をする際には大いなる犠牲が必要だ。晩飯抜きとか微妙なラインの不可能性ではない。これまでうず高く積まれてきた屍、その今際の際が今現在僕の、名言を放つ力の助勢をしている。痴呆の笑いである、僕の笑いは。しかし端整で素敵な笑いだ。僕はどうしても自分を向上させたい。その為なら違法な事、極めて常軌を逸した気色悪い事以外はなんでもするつもりだ。僕はこれまで流動性を言い訳に様々な論理破綻、撞着をしてきた。目くじらを立てようと思えば素人でも容易に立てられるだろう。障害年金は十分であり僕の健康で文化的な最低限度の生活を保証するものである。僕は糊口をしのぐ生活ははしていない。趣味の経費も何とか工面している。