闘いの終わりに

 僕は今日を生き延びた。ヘルパーの調理を手伝い、しかし買い物には行ってもらい。次からは昼間に調理してくれるかも知れないらしい。1000記事を超えても人生は続く。僕は何を目的に生きているのか。僕は同病相憐れむの典型なのだろう。読書もしたいが興味のある本が未だ届かない。図書館まで行くのも億劫で倦怠だ。先ほど僕はヘルパーに端整な顔立ちと褒められ、身長が高いと褒められた。嬉しかった。たとえそれが嘘八百であったとしても。僕は自信を持って生きていても良い。独り暮らしもきちんと出来ている。処方された薬も用法に順守して飲んでいる。この日本社会において統合失調症は民衆の中に陶然の如く紛れ込んでいる。少なくとも昨今においては普通統合失調症だと明言すれば人としての信頼関係に亀裂が走る。僕はユーモアがある人間らしい。ヘルパーからそう言われた。僕の文章は何の統合もない、単なる書き殴りである。それがプログレッシブツイストの一つの目的でもあります。文学は自由なのだ。規律や秩序に束縛されるような表現では十分に昇華出来ない。今日は久しぶりに人と話せて良かった。また青椒肉絲も非常に美味であった。明日は久しぶりにウーバーイーツでもしようかと思案している。僕もまたエゴイストの一人なのだろうか、確かに他人への優しさは面倒である以上勇んでしようとはしない。僕は頑張って生きてきた。今後も文章を通じて病人以外にも影響を与え続けたいです。歴史の試練を突破し、永劫に続く程の作品を生み出していきたい。

 

 僕は暴力に加担しない。口の暴力であっても。僕にはその痛痒を知悉している。驕慢に他人を難詰したりするのは非常に僕の信条とは差異のあるものだ。僕は優しい人間なのだ、僕は知識量が半端ない。僕との会話でヘルパーは勉強になってるようです。不快じゃないか、退屈じゃないかとたずねれば彼女はそんなことはないと開口一番に否定した。僕自身の愚昧さ、社会を知った気になって英傑になったようであるが、僕はまだ発展の余地がある人間なのだ。僕の論文が時代を先駆けているから理解されないのだと彼女は言っていた。それは確かに賛同した。眉唾ではない。僕はこの先も呼吸をするかのように膨大なエッセイを書き続ける、誰かの追随をしたりする訳ではない。ただ僕が意気軒高である礎として黙々と書いていくのだ。大丈夫だ、皆さんも大丈夫。皆さんは違法や倫理に背くもの、不用意に人間を貶したり、誹謗中傷しなければ何をしても良いのだ。僕の言葉が足りないか、不明瞭であれば今後もその事について画竜点睛をつけていこうと思う。またこのブログが良いなと思ったらフォローをお願いしたい。