こんな世界は嫌だ

 メディアは悪いニュースを垂れ流しし続けています。それが良くないのです。ルッキズムも横行して、親ガチャなんて言葉も定着して、東京に人口が一極集中して。痴呆の加速は進んでいます。自殺者も相当多いようです。僕達一人一人が希望を持って生きていく為にはどうすれば良いのでしょうか。僕も死にたいと思ってしまいます。でも悲しむ人がいるので死ねないのです。僕はこれまで社会の為になれば、そして自分の為になればとネットで活動を行ってきました。しかし皮肉にもそうしている中、日本は衰退していき、国の命運は神に委ねる以外になくなりました。僕は高校時代、15歳の時から統合失調症です。こんな病気を背負って、今は働けていません。ただこうして自分の思った事を文章に起こしているだけです。こんな人生の何が楽しいのでしょう。僕はもっと人と交流したいのに症状と対人恐怖、社会恐怖のせいでそれも難航してしまいます。誰かに助けて欲しいです。今日は訪問看護の人が来るので赤裸々に相談してみようかと思います。薬ももうじき飲もうかなと思っています。国民が希望を持つにはどうすれば良いでしょうか。もう日本経済については諦めている人が大半な気もします。

 

 僕のような侏儒の命でも大切なのでしょうか。息をするのも、座っているのもしんどいのです。そういう悩みは専門家に任せた方が良いのでしょう。思い切って相談してみます。そういえば三島由紀夫は晩年にもう小説活動も終わりかも知れないと言っていました。僕も彼と同じ心情です。僕の中で完結する物語を外に出せる訳がありません。そもそも僕にはベースとなるものがありません。美術の世界ではそういうのを素朴派とでもいうのでしょうが。僕の場合はプログレッシブツイストです。また僕のブログをもっとフォローして欲しいです。僕を不憫に思うのなら、また精神障害なら、またその他の人でも僕をフォローしてください。非常に励みになります。ネットの占いによればこの春に僕の努力が実を結び、全ての結果が訪れるようです。しかししょせん占いは占い。占いが当たったためしはありません。僕は孤独です。孤独な日々を過ごしています。どうか誰か助けてください。苦しいのです。お願いです。僕は文体も優しいものに変えました。それは多くのファンを得る為です。そして自分の淀んだ暗室に清澄な空気を入れる為です。どうすれば僕の人生はマシになるのでしょう。このまま作家活動を続けながら、ぼんやりと生きるのが正解なのでしょうか。今日は早起きが出来ませんでした。ゴミを捨てられませんでした。しかし今後、ゴミはヘルパーが持って行ってくれるらしいです。ありがたいです。病気のせいで早起きが出来ない体になってしまって、本当に申し訳ないです。負い目に感じています。

 

 多くの人々が統合失調症になっても働いています。僕は易疲労感でそうした事がからっきし出来ません。僕は障害者の一例であるのでしょう。十人十色、千差万別、それが統合失調症の正体なのです。内実では僕にも葛藤はあります。しかし考えていても仕方がないではないですか。今は助勢が得られていて、僕は何とか生きられています。生きているだけで満足ではないですか。雨にも負けず風邪にも負けず、をモットーに僕は生きていきます。死にたい、は伝染するものなのでしょうか。何かに劣等感を抱き、何かと比較して失意に暮れ、本来ならマイペースで生きられれば良いのです。大文豪になる必要はありません。僕はいつも通りにたまに緩急をつけて発信して行けば良いのです。環境の変化は著しく、僕の心の流れは今の時点では緩慢です。日進月歩で生きていくのです。

 

 まだまだ統合失調症への偏見や迫害は多いです。自傷他害の恐れのある患者は私見では稀有な存在ですから皆怖がらなくても良いのですが。薬で漸次的に病状が良くなる人もいれば、人間関係によって病状が良くなる人もいます。僕も治療と称して様々な事を試みてきましたが、即座には病気は変わりませんでした。良かれと思ってした行動が裏目に出たり、ストレスに脆弱すぎる事で煩悶したり、そんな自分を鳥瞰図的に見て自嘲したり。色んな景色があります。人一人の体で生きる上では。こんな世界は嫌だ、なら変えれば良いのです。一人じゃ、変えられません。多くの人々の大々的な運動と助力を通じて、文化や経済、学問の長足の進歩は行われるのです。僕の高邁な思いが助長されるのは間違いなく僕の心が死ぬ事を完全に善であるとしていないからでしょう。僕は死ぬべきではありません。僕の学問や芸術の才能を認めてくれている人もわずかながらいます。そして当ブログの読者も僕にとってはかけがえのない存在です。自分が傑出した存在だとは思いません。もしそうなら僕はメディアに紹介されているでしょう。卓越した頭脳を持って、秀麗な思想を持っていれば世間は僕を偉人扱いする筈ですが、余りにも時代にそぐわない、或いは時代を超えた思想を持っている人間は理解されるのに相当のタイムラグが必要なのです。自分への愛撫的に僕はそう思っています。

 

 僕は社会を舐めているのでしょうか。あの高専での打擲、そしてそれを喜劇映画を見るかの如く、冷笑したクラスメイト。教員はおいお前、舐めてんのかと言いました、打擲の直後に。僕は今後、もっとよく生きられるように意匠を凝らすようにしないといけません。昼食にパンを食べるのは良くないです。ご飯にふりかけをかけて食べるのが良いでしょう。つらい中でも僕は生きていかないといけません。実家に帰るのも検討していますが、多分僕は京都に残るでしょう。他力本願では駄目です。自分の力で生きていかないといけませんし、僕にはその強さがあります。いつまでも甘えていてはいけません。

 

 ネットを使う事は僕には非常に退屈に思います。ネットでやれる事はほとんどやりつくしてしまい、今では退屈です。もうすぐカフカの短編集が僕の家に来ると思います。確か文庫本だったように思います。読むのが楽しみです。僕の人生が暗礁に乗り上げる契機となった統合失調症。今では病気を受け入れて何とか生きています。しかし僕は幸福になれるのでしょうか。人と会話をする事で楽になれたりする事もあります。或いは運動だとか。でも外に出るのが怖くて運動どころではありません。それでも勇気を出して運動するのが良いと体育会系の根性論を帯びた論調を呈する人もいますが僕には彼らは人非人にしか見えません。お願いします、誰か、僕を助けてください。まあネットでこんなことを言ったって単なる道化にしか映らないでしょうが。僕は真剣です。働いていない者にも幸福はあるべきです。失業率の高い中国においても寝そべり族なるニートが大きな社会問題として蔓延っているようです。僕もまた日本版寝そべり族なのかも知れません。

 

 21世紀の原油と呼ばれ、その生産拠点を油田と呼ばれる半導体、サプライチェーンが日本に戻れば日本経済は好調になるのですが、果たして今がその時期でしょうか。一ドル155円を突破して、日本経済は円安で極まる苦悶に陥っています。しかし僕のような小市民にはどうする事も出来ません。その中で生きる統合失調症のリアルな日常を声高に示すしかありません。もう書く事もなくなってきました。僕は何度ブログで同じ内容を居丈高に書いたでしょう。もう読者も愛想を尽かしたに相違ないです。読者も辟易するでしょう。僕はそもそも文才がありません、知能は高いらしいですが。