京都は都会なので色んな種類の奇人変人がいる。僕のように長髪でインパクトの強い個性もあれば、スカートをはいているおじさんもいる、女装した小柄な男性もいる、幻聴に吠えて対応する人もいる、やくざのような人もいる。和歌山ではあまり見かけない人が京都には多くいる。それも多様性の時代の序章だろうか、萌芽だろうか。僕は今はほとんど家から出ない。ゴミ捨てに行ったり金を下ろしたり、買い物に言ったりはするがそれも汗水流しての事である。僕は相変わらず外が怖い、危害を加えられる訳でもない。でも悪口の幻聴や不敵な眼光、妄想のせいで非常に外に出づらい。でも僕は生きている。ヘルパーの助けも借りながら生きている。食料は大量に備蓄してある。自分の楽なように、それでも落伍者にならない程度に休みながら生きていけば良い。また日本の経済は本当に衰退している。斜陽国家である。斜陽国家の斜陽産業、どうすれば良いのか日本は。皆頑張っているのに社会は全く良くならない。僕はそこに哀愁と虚無を感じずにはいられない。僕の統合失調症も甘受しないといけない。いつも不快感を感じず親友のように統合失調症に接する。自分の心身を大切にする。そうする事で未来は明るくなる筈、だって発症したての時と今とでは僕は段違いに成長したもん。それは言い知れぬ事柄ではあるが。