僕と食事の関係性は重要だ。多くの人々がそうであるように。しかし食事に救いを求めすぎるのは良くない、何事も質素が大事なのだ。僕は毎日働いてもないのに飯を食らっている。馬鹿が何をほざいているのか。今日も僕は性懲りもなく記事を書いている。いや、自分を馬鹿だなんて言うな、訂正しろ、統合失調症患者だろ。僕は病気なのだ。だから病人としての人生や成功がある筈なんだ。自分でも社会を少しでも良くしよう思い、僕は多くのコンテンツや論文を作ってきた。本当に多い、特に芸術については非公式ながら僕のライフワークと言っても過言ではない。頑張った日に食べる食事は美味しいものだが、僕は今は仕事に行けず、仕事を辞める事を考えている。無職になり、障害年金で暮らしていこうかと思っている。業務内容一時間ですらヘトヘトで、おまけに往復のバスもしんどい。家に帰ると悲しくて辛くて死にたくなる。僕はもうあんな不快な思いはしたくない。しかしそれは健常者なら誰もがやっている事。全国、全世界共通だ。それなのに僕はそれに耐えられない。適応できない、適応できない種は淘汰されていくのが進化生物学の教える結論である。僕は今日ヘルパーに来てもらう。時間帯的に買い物はヘルパーに任せる。今日もしんどいから調理をヘルパーに丸投げしようかな。