頭の良い人は感受性が高い人が多く、脆弱的な精神性、敏感な精神性を持っているのだとの学説を僕は昔どこかで仄聞した事がある。僕はカウンセリングを過去に何度かしていた。それらはことごとく僕は中途で辞めたのだが。そこでりょうが君は頭が良くて感受性が強いとカウンセリングは僕の母に言っていたらしい。脆弱性、弱さへの傾向。僕は統合失調症になり痴呆のような驚きを定着した。易疲労感で社会的にも今現在上手くいっていない。問題が台頭し、僕はその解決に奔走したいと思っているがそれでも実際僕は成す術ないのではないかと思う。明るく生きる事に根拠など必要ない。統合失調症があっても、無力でも、脆弱性が強くてもそれで良い筈だ。しんどいか、しんどいだろう、僕。しかしこの筆記が人々に対し重要な財産になる可能性もゼロではない。限りなくゼロに近いものではあるだろうが。幾重もの、数限りもない悦楽。珠玉の言葉、文豪の輝き。僕が見たもの全て象徴的に示したい。精密にそれらを言語化する場合もあれば、障害を伴いながらも呻吟して生み出す場合もあるだろう。僕の発言は全て詭弁なのだろうか。僕を見てイライラする連中が一定数いるのは分かっている。それは何故か、僕への嫉妬だろうか、いや考察すら面倒だ。彼らに割く時間などは僕にはない。過去の恍惚が、僕を包み、僕は単にしじまの中に溶けてゆく。この夜に。夜毎に僕は祈る。僕に幸福あれ、報いあれと。僕は懲罰に値する程の犯罪を犯していないつもりだ。僕の人生は一朝一夕の代物ではなく、紆余曲折があって、様々な感情の躍動があり、力学があり、構築されている。今後もその秩序は変わらないだろう。理路整然と言葉で僕の全てを明晰に表現する事は不可能だろうが、蓋然的な表現は可能だ、あまねく表現の無限行列。