僕はよくベッドでゴロゴロしている。それは多くの人の助言によると悪い事ではないらしい。そうしている間は内省の時間が大部分を占める。僕は一流の詩人ではない。ランボーの詩に影響を受けて清冽なリリシズムを、僕の個性を文学に昇華しようと思ってやっていたのだが、結句良いものは生まれなかった。この人生の中で僕は今、非常に人気の得やすい、硬くないテーマを掲げ、エッセイを書いている。僕には文才がないかも知れないが、高校教師からは文豪だと呼ばれていた。また僕はいつまで仕事を休むか分からない。僕自身の体調が万全になれば僕は職場に復帰するつもりだ。今は悠々自適に休んでいるのが仕事だ。僕は富み、偉大になりたいと思った事もあったが今は精神的平静、アタラクシアを優先にして生きていきたい。生きる、これは人類史において重大なテーマである。科学技術文明や資本主義に伴う拝金主義が台頭してきて人は感覚が麻痺し、陶酔してきた。人の命より大事なものはないのだ。僕のような統合失調症患者であれば、遠慮せず休むのがもはや、畢竟義務である。自傷他害に及ぶより自分なりに内省をして、平和的に過ごす方が良いではないか。ベッドでゴロゴロ、中国では寝そべり族なんてコンセプトが類語的に民間に浸透し、定着した訳である。まあ僕は寝そべり族の精緻な定義などは知らない。字面だけで判断して誤用している可能性もないではない。しかしそれも人間らしくて良いではないか。