僕は自分が醜いのではないかと思う時が多い。醜形恐怖というやつだ。しかし整っているとも言われるし、やはり病的な感情なのだろう。確かに醜く見える時はある。しかしそんなことは誰にだってある事なのだ。いつでも秀麗に見える人物なんて存在しない。気分や見え方によっても変わる。まあ僕は鏡を見たくない時は見ないようにしている。これは落ち込むのが怖いからだ、何故落ち込むのか、自分を愛せていないからだ。等身大の自分を愛せていないからだ。自尊心が高いのではなく、周囲への臆病さから、自分のような醜い存在が不快にさせてしまうのではないかと思ってしまうのだ。醜形恐怖は整形が繁多に見られるような現代社会については非常にデリケートでセンシティブな内容だろう。だから僕はこの記事を書いている。僕と同じように悩んでいる人に届けばと思って書いている。僕は統合失調症なのだがそれももう意識しない方が良いだろう。重複コンテンツとして僕の存在自体が危急存亡になるかもしれない。しかし僕が今まで活動してきた生きた証は消えない。誰か僕を見てくれ。これも承認欲求か。僕は自分を好きになるとしきりに言っている割には時折自虐的、悲観的な筆致を示す事もある、一体どっちなんだい。巧妙に、世間では悪意が隠されているのだと年少の僕は思っていた。今では悪意が四面楚歌となっていると思っている。衆人環視のように、人を自殺に追い込むべく虎視眈々と僕を見据えているのだ。これも奸計か、被害妄想なのか。全く、結局僕の個性は統合失調症に帰結するのか、皮肉な事だな、それでもあがくしかない。