京都の市街地の喧騒から離れ、今僕はねぐらにいる。繊細な神経を持つ僕の如き統合失調症当事者は雑踏に入る度に恐怖を覚える。こんな時、僕は故郷和歌山を想起する。風光明媚、ローカルのラジオ局、訛った言葉を話す市民。僕は19年間あの土地で過ごした、最初に産声をあげてからずっと。かなり過疎化している地域である。日本全土が最近ではそのような印象を帯びている為、これは僕にとっても無縁の問題ではない。京都に来たのは19歳の時、大学進学の時点を境に京都の北区に移住した。慣れない一人暮らし、放置された統失の症状、暴飲暴食、僕は京都に来た翌年に精神病院に入院した。のっぴきならない精神状態になってしまったのだ。一旦荷物をまとめるべく和歌山に僕は戻ったのだが僕を心配した母親が僕を海南の病院に連れて行った。すると失礼にして蒙昧な事に医者は僕があらゆる意味でグレーだと、自尊心が高すぎると言った。僕はそれは今でも鮮明に覚えている。弱りきって病院に来たのにかけられる言葉は安寧に満ちたものではなく事実無根のイメージの言葉であった。僕は和歌山は素敵な場所だとは思うが、もう少し高度な文明を具しても良いのではないかと思う。せっかく気分転換したくて帰省しても不快な出来事がにべもなくあれば、非常にそれは郷里への嫌悪に繋がる。

 

 僕の身長は具体的には何センチかは把握していない、しかし間違いなくチビではない。それだけで恵まれたものだ。僕はここまで生きるのに苦渋に満ちた経験は避けては通れなかった。僕と似ている人も世界中には腐る程いると思う。その意味で僕は自らを塵芥、侏儒だと捉える刹那もある。まあ時折だが。それでも僕は塵芥で侏儒の自分が好きだ。僕に第一級の詩がかければこのエッセイも非常に彩り豊饒なものになると思う、しかし今の僕にそのような実力がないのが非常に寂しい。

 

 国語の教科書には宮沢賢治の作品が掲載されている。彼の作品は生前には独特過ぎた事から一部の理解者しかいなかったらしい。彼の死後、彼の作品の文学的意義が発掘され、全集を理解者の何人かが出せばこれは飛ぶようなセールスを発揮したと言う。僕も宮沢賢治のようになれたらなと思う。生前は無理でもいつかは偉人として認められる。それがしばしば僕が夢想する内容の一部である。

 

 迸る血液、五臓六腑に向かう我が血潮、喋りすぎて枯れた咽喉。それでも人生は素晴らしい。僕は今後は読者に贖いたい。分かりにくい文章を書いてしまって、受容の全くない文章を書いてしまって申し訳ない。読者諸兄姉よ。そうそう、僕のブログはポジティブ日記だ。最後にポジティブで締めくくろう。今日も頑張って生きた!