僕は今後新しい技術、新進気鋭の技術を使って各人の労働力を省略する必要があると思う。今は本当に為替の話でGDPが日本はドイツに抜かれたので今後また抜き返す可能性も大いにあり得る。そうエミンさんというエコノミストが言っていた。僕は彼の真摯に物事に向き合い、理性的な楽観を度外視しないその姿勢に魅了された。多分彼にとって僕は十把一絡げに扱われる一人だとは思う。まあそれでも僕は今もこの記事を書いている。僕も努力して社会貢献をしたいという意欲があるのだ。僕の人生も国の命運も努力によって新たな道が開拓されると思う。今はその過渡期だと思う。今後僕はどのようにして生きていこうか。今日は精神的な調子が悪いから作業所を休んだ。昼ご飯はパックご飯にふりかけをかけて食べた。食欲不振に最近僕はなってきたと思う。あまり食べなくても大丈夫になった。まあそれは運動不足が端緒となっているに相違ないが。僕はどうやって生きていこう。このブログも全然見てくれていない。僕は有名人にはなっていないし、これまでの労力が功を奏した印象は全くない。僕はやはり非力なのか。何をしても満たされない。投げやりに考えてしまう。しかしこんな自分を新たな局面に向けて努力する事を辞めてはいけない。僕の内部では相反する感情や思想が常々対立してしまい、何が本当か僕自身も見分けがつかない。そういうところが統合失調症にありがちな失調状態なのではないかと思う。支離滅裂な文章を届けてしまって、申し訳ない。僕は大量にこれまでこのブログで記事を書いてきた。僕に出来る事は何だろうか。もう訳が分からない。確かに僕は頑張ってきた。出し尽くした感じもある。どうすれば良いのだ。このように苦悩する刹那も読者を享楽させる一要素だとは思うが本人としては単に辛酸を舐める感じである。

 

 明日からは仕事に行こうと思う。昨日は精神科で診察をしてもらい、薬をもらってきた。頓服の薬をもらったのでこれで母親に迷惑をかけずに済む。死にたいなんて言葉を吐くと周囲の負担にもなる。現代人にとっては馴染みのある訴えだろう。今日は実は人から誹謗中傷された日だ。僕がその人に何かをした訳ではない。それを契機として僕は大勢の人から嘲笑されているのではないかと被害妄想を持つに至っている。実際馬鹿にされた経験はネットでは多い、現実でも多いが。どうすれば僕は幸福になれるのか、自信を持てば良いのだ。ありのままの自分を受け入れて、良いところも悪いところも愛してやれば良い。恥ずかしさなんて捨てる、それはナルシストではない。無論惜しげもなく、臆面もなく自分を愛している言動に至ればナルシスト扱いは不可避ではあるが。僕のこのブログは美談と言うよりはたんなる言語を用いてそれが自身にどのような影響を与え、道がどのように開けていくかを試してみる実験随筆である。僕は苦しい。独り暮らしで友達もほとんどいない。恋愛経験も悲惨な事に皆無である。もっとも僕の兄弟たちも恋愛経験はゼロのようだ。しかしそれが何だと言うんだ。僕は悲しい、苦しい、侘しい。儚い命だ。儚く揺蕩う僕の命だ。しかし自殺はしない、努力を死ぬまで僕は継続させていく。今までと同じように。何が功績だ、と批判される事もある。しかし僕が生きた証左を残したのは事実だ。僕の中学の闊達で、天真爛漫な性格と比較すると零落した感じはあるが、それでも構わない。

 

 僕の出身は和歌山県である。和歌山は観光地以外は僻地のような場所だ。僕はこれからあの地に半導体の工場でも乱立させて人口を誘致すれば良いのではないかと思う。東京一極集中では駄目だ。その駄目さ加減ぶりに人口が日本より少ないドイツに経済で負けている始末ではないか。現代的な技術の刷新と同時並行して新たなマーケティングに参入して、削減できる作業はロボットでもAIにでも任せて少ない人員で経済活動をやれるようにしないと。

 

 僕も生きていく為に食料を消費したりしている。僕は無駄な存在じゃない。根無し草ではない。斜陽族ではない。夾雑物ではない。何とか生きる事が出来ている今に僕は感謝しない。僕のようにクレイジーな男は海外だと一層差別、迫害、嘲笑の憂き目にあう筈だ。自分を成長させるためには努力が必要だ。しかしその努力も場合によってはストレスとなり統合失調症を再燃させてしまう可能性、リスクも高い。どうすれば良いのか。僕は一体どうすれば良いのか。昔の僕は衒学者で周囲から博識だの物知りだと言われていたが今はどうだろうか。僕は自分の才能を公衆の面前に暴露する事はなくなった。僕は働かないといけない。今は障害年金で自転車操業ではあるがこの制度に依存しっぱなしでは駄目だ。

 

 自分の相貌が良く見えない時もある、しかしそんなの誰にでもある事だ。僕は自分が不細工なのだと劣等感を持つ事もあるが今はそれは誰にでも起こる事だと知って溜飲を下げている。あまり外見について気にしすぎない事だ。一番よく見えた奴が本当の自分だと僕は思っている。僕の母親は美人であるから僕の美形具合は遺伝である。まあそんなことはさておき、この記事は経済的な論調で始まったが僕は経済については素人レベルの知識しかない。もっと勉強していかないと駄目なのだが僕は生憎資本がない、したがって本を買えない、ならば図書館に行けば良いじゃないかと言われるが図書館は距離が遠い上に小さく、蔵書も少ない。

 

 お願いだ、誰か助けてくれ!僕は誰かに甘えたい。僕はこのままじゃ駄目だ。独りの力には限界がある。僕は再三調子を崩して様々な環境を転々としてきた。その経験は僕にとって甘美な美酒となったのか、敗北の苦汁となったのか。僕だって本当は死にたい。でも楽に死ねる方法がないから生きている。努力もしている、自己改革の努力だ。今の僕は社会人なので大学受験の勉強からは遠ざかったが。僕は誰かと懇意になりたい、しかし外に出るのも怖い。ネットでの繋がりもやるせないものだ。僕は生きるのに向いていないのかも知れない。こういう言辞を何の意匠もなく読者の前に吐露する事、これが美徳かどうかは分からない。僕は無批判に社会を受け入れられない、阿諛追従というより悲憤慷慨の方が僕の感情として適切なものだ。僕はどうすれば良いのだ。いつもゴロゴロしてしまう。パソコンをしようにももうパソコンでやりたい事はやりつくしている。ならFMラジオが良いと考え携帯でラジオを流し、悦に入りながらこうして記事を書いている。僕も健常者のようになりたい。しかしコンプレックスもあるし、些細な事で絶望してしまう。レジリエンス、弾力がもっと僕には必要だ。気にしないのが一番だ、気にしていれば畢竟ルックスも状態も悪くなる。

 

 もうしんどい。このブログでこういう事を言うのは良い事なのだろうか?僕はゴミ扱いされた。必ずしも僕が人から激賞される訳ではない。毀誉褒貶の褒め言葉に偏る事はあっても誹謗中中傷、罵詈雑言がゼロになる事はない。誰か、誰か、助けてくれ。ネットの一隅でこんな発言をしても誰も見向きもしないし、慰撫するような言葉をかけてくれる訳ではない事は分かっている。僕も普通の人なのだ。統合失調症でプログレッシブツイストの創始者であっても平均的な男なのだ。ルーリードのように。しかしこうした平素の生活、日常茶飯事を表現する事は何らかの変化を僕の此処おrに生んでいるような感じがする。それが一縷の希望か。文明の光芒か。さて、これにて擱筆。