僕は向こう側に行きたい。時代を超越した、今より遥かに文明的な向こう側に。この事を表現したのはドアーズというバンドであった。ドアーズをヴェルヴェットアンダーグラウンドのルーリードは酷評していたようだが僕は自分の青春を彩ったドアーズに感謝している。そう言えば統合失調症の某ミュージシャンが「病気は個性だと思えば素晴らしい未来が来るのではないか」と言及していた。それは確かにその通りだと思った。しかし個性と思える程自分自身を愛する、ありのままを認める事はそう容易に出来る事ではない。また、今回の文章は極めて淡白で平易な語群を使って書かれているので読みやすいと思う。僕はこれまで音楽活動にも着手してきた。自分のアート的な着想を曲に落とし込んだりした。僕の芸術ジャンルは依然として「プログレッシブツイスト(観念派)」であり、そもそも僕という存在自体がプログレッシブツイストである。僕はこのブログでも敢えて杜撰な個所を残す事、支離滅裂や論理構造の度外視の結果感性される作品というものに今後スポットライトが当たるのではないかと書いておく。そう言えば僕はヴェルヴェットアンダーグラウンドの蠱惑的な魅力に圧倒され最近ヴェルヴェッツを狂信者的に聞いている。バンド活動時は商業的な成功を収められなかった彼らだが彼らの存在はその後の数多の音楽ジャンル、骨法に影響を与え、ロックシーンの芸術性の向上に大きく貢献したというのがウィキ先生の示すところである。今はどの分野も熾烈を極める程の優勝劣敗、弱肉強食がスタンダードとなっている。力こそが全てで、どんな性格の破綻した人間であってもこの世に跳梁跋扈しているというのが現実だ。僕はこの文章芸術の毅然として怪奇性を憚らず表現する事に一種の尊さを感じている。今後は完璧でないものがフォーカスされる時代になっていくのではないか。自由闊達、時折頑迷固陋になりながら、生きてゆく。もしかしたらこのブログは粗製乱造の温床となっているかもしれないが。それならそれで構わない。

 

 向こう側に突き抜ける事。この道程において、必ずしも突飛で斬新な手法ばかりが礼賛され、勃興する訳ではない。僕はドラッグをやらない。いや、精神科の向精神薬は継続的に服用しているが別に合法だし問題ないだろう。僕はこれまで多くの曲を書いてきた。多くの作品、論文を書き、このブログなどで後悔してきた。このような駄文の見本市を誰が見ているかどうかは定かではないが、僕はいつも恐縮だが人様が享楽出来るようなものを作っていこうと粉骨砕身してきた。僕にしか出来ない事、統合失調症という概念を上手く人間の文明生活に融合させる事である。広大無辺である意味暴力的でもある事柄を実行しないといけない。岸田首相は経済、経済、経済などと宣う割に言行一致していない。僕は彼のようになりたくはない。実際彼の支持率は歴然たる無惨さである。僕は最近経済にも食指が動くようになってきた。無論糊口を凌ぐ、赤貧の生活なので経済の書物を購入する事は出来ない。近場の図書館もラインナップが欠乏している。

 

 僕を罵詈雑言で傷つけた連中。そして僕に反発心を持っている連中、そうした連中が最近僕はどうでもよくなってきた。愚にもつかぬ上皮だけの存在、有象無象だ。僕は過去懊悩してきた一切合財の常識が瓦解していくのを感じている。この構造の変革。期せずしてこれは加齢に伴って自ずとなされてきた。僕もいつまでも子供じゃない、今年で26歳のおじさんだ、痺れを切らして僕は自分の出来る事を精一杯しているつもりだ。しかし今の僕個人の印象としてはやはり僕はまだまだ青二才だと言わざるを得ない。まだまだ学ぶ対象は大量にあるし、統合失調症発症以後、苦手意識を持つようになった高校の受験勉強もしてみたい。しかし僕の母はそんな難しい事はしなくて良いと言っている。まあ取捨選択するのは僕自身だ。生殺与奪も僕の内部に眠っている。

 

 ドアーズは昔よく聴いていた。僕は眉目秀麗の長身美人に魅了されるよりもまずジムモリソンに魅了された。彼の詩人としての傑出した才能、破天荒な生き様、素晴らしい。しかし彼は27歳で夭折した。僕も昔は早逝に憧れていたから彼を人生の見本として崇拝していた点は否めない。僕の内向性は自動的に、否応なしにダークなものを求めるようになった。他にはビートルズも聞いたが今ほど専門的な、玄人的な享楽はしていない。僕はバンドの音を享受すると同時に物語をより簡潔な形式で脳髄に染み込ませ、咀嚼し、消化するという作業を人知れず行い続けた。

 

 僕はこれまで多くの創作活動を行ってきたが最近は力を出し尽くしたような感じがする。今のところ何の活動予定もない。暇を持て余した時にこのブログで言語表現に没入する事くらいが僕の出来る事だ。

 

 そう言えば僕は今日精神科の通院日だったのだが、薬を診察の結果増やされた。このことを僕は寸毫も不服に感じていない。憂鬱な時に頓服を飲めば良いと主治医は言っていた。実際服用してみた。すると心が軽やかになった気がする。今日は通院日であるから仕事は休んだがまた明日から仕事に行こうと思う。どうせ一時間だけだし。バスも近頃は怖くなくなってきた。僕はこの記事を書いたら眠るつもりだ。3000字を目標としているのでそれまではこの奔流をぜひともご賞味あれ。

 

 僕は頑張ってブログを続けてきた。ブログを始めた人の9割程がブログを辞めるという統計もあるくらいだからこの心理的重圧をはねのける程のレジリエンスは相当身についたのではないかと思う。

 

 僕に恋愛は時期尚早か?統合失調症の僕に。まあ確かに差別や偏見はあるし、犯罪者の統失疑惑が浮上すると一気に統失全般に白羽の矢が立つのは必然である。他害に至る人非人の気持ちも分からなくはない。

 

 僕は恋愛がしたい。その為には外に出ないといけない。どうにかして長身美人の彼女を作りたいなあ。僕には名前も知らない好きな人がいる、大学時代にキャンパス内で見かけた人だ。かなりの長身で、非常に感じが良かった。のみならず大人しそうでもあった。ここまでくれば役満である。僕のタイプをそっくりそのまま具現化したような印象だった。僕だって風采は悪くない。体も大きいし、顔も整っていると言われる。それに中身だって最近は特に前向きだし、これまで七転八倒しながらも数多の事に果敢に挑戦してきた。

 

 お願いだ、僕を更なるステージへ、向こう側につきぬけさせてくれ、そのように僕は常時考えて行動してきた。子の一挙手一投足は甚だ脆く、効果覿面とは言えないかも知れない。しかし僕は成功してやる。このような野心を僕は貫徹しているのである。僕は現世に抜擢されたんだ。生まれるべくして生まれた。そして僕には味方がいる、彼らには嫌忌されていない。僕は大勢の胸中において白眼視をやられたくはない。

 

 様々な方途で僕達は幸福を追い求める。国籍や環境、宗教観に差異があればそれだけ幸福を追求する可能性があるという事だ。これは至極当然の社会通念である。まあそんな事はともかく僕は自信を持つべきだ。様々な点において褒められた事も多い。状況的に皮肉でも諧謔でもない。僕は喜悦の経験を反芻して生きる。日本人は悲観論好きで、自虐思考で僕のような落伍者は希少種であるだろう。それ故理不尽に巻き込まれたりもするだろう。

 

 この先日本は再び常識とされてきた観念を見直し、技術革新によってパラダイムシフトを起こし、向こう側に突き抜けなければならない。まあこんな事、門外漢の僕が言うのもナンセンスかも知れないが。夢物語か?僕は夢想家か?