僕は結婚したい。しかしその相手がいない。誰でも良い訳じゃない。ただ一緒にいて落ち着けて癒されるような人がいい。長身美人が僕の好みだ。

 

 まあそんなことはともかく僕は最近の事について話そう。僕は昨日酒を飲んだ。そして電球が壊れたので業者に頼んでい交換してもらった。部屋の設備の充実度は日常生活の骨子であるから僕は頗る当惑した。僕は最近良い事が続いている。僕の存在が認められているのを僕は感じる。そう感じるのは恣意的だろうか、驕慢だろうか。ともかく何も生み出さない、何の考察もしない周囲を睥睨するだけだった過去の知悉とは程遠い僕としてはそう思えるのは成長した証拠だと思う。無論異論はあるだろう。

 

 統合失調症発症以後、僕は学業不振に陥った。中学時代は学業優秀であったが突如訪れた病魔により僕は一気に自閉的、内向的になっていった。僕をいじめたり、小馬鹿にしたりする連中もいた。悔しかったが身から出た錆なので僕にはどうも出来なかった。いやいや、過去を振り返るのは辞めよう。嫌な記憶を鉱脈を発見するかのように掘り起こすのはかえって心身に不調をきたしてしまう。

 

 結婚、結婚、結婚。話によれば僕の母親は24歳で結婚したという。それに比べて僕は恋愛という側面で言えば単なる弱者である。臆病で、侏儒で、何の魅力もない。いや、自己否定は辞めよう、品性下劣だ。僕は今後は前向きに、ありのままを肯定し、受け入れて生きると決めたんだ。その意見には僕の作業所のスタッフも同意していた、殊勝な事だと脱帽していた。

 

 筒井康隆は老体でブログをだいぶ前に辞めた。エッセイは書き続けると言っていたが僕は彼を尊敬していた。だから情報発信の量が激減するのは僕の中で驚天動地の感覚だった。

 

 僕は頑張っている。昨日は酒を飲んで気持ち良い気分になったが週に一度だ、別に構わないだろう。戦国武将が酒池肉林に耽溺するのと同じ事だ。僕はこうして自分の胸中を吐露するかのように発信を続けている。

 

 僕の文学に没入した経験はやはり三島由紀夫の著作を読んだ事に端を発しているのだと思う。僕は体調不良になってから三島の金閣寺を読んだ。僕は一気に彼の耽美世界に魅了された。僕はそれまでは理系で、文学作品にまともに集中して向き合った事はなかった。中学時代は秀才の同級生と自然科学の議論をして過ごしていたりもした。僕は授業なども憚らず図書館にこもって文学作品を読んでいた事もある。僕の芸術様式が確立し、実際にその才能が遺憾なく発揮されるのは20歳前後になるまでだった。僕は早熟ではなかった。もっともあのような不幸な時代に何かを成し遂げるなんてことは無理難題だ。古今東西、青年期において様々な苦悩を抱くのはよくある事だ。しかし僕は病気であった。それが健常者の健全な懊悩生活とは齟齬のある部分だ。

 

 僕は今朝早く目覚めた。すっきりとした気分だった。今日のような良い目覚めを平日でも維持出来れば良いと思う。

 

 僕はネット上で破竹の如く、発信していた。しかし僕の発信を誰が読んでくれているだろうか。慧眼も審美眼も持ち合わせていない僕の言葉にどれほどの人が薫陶を受けるだろうか。僕はネット上での情報発信を、殊にこの場での情報発信を言語を使用した自己改革、自己成長という意味で行っている。

 

 僕の活動を見てくれている人がいる事は非常に恐悦至極である。

 

 これまで生きて来て死にたいと思った事は何度もあった。自殺未遂をしたこともある。しかし今の僕は自分が一人ではない事を理解している、自分の味方がいる事を理解している。だからこそ強靭に屹立しているのだ。荒れ狂う時代のうねりを眼前に据え、必死の闘争をしている。神々も照覧あれと思い。僕の人生には傑出した意匠というものはない。そんな僕でも生きている。生きる事から逃避しようとは思わない。一人暮らしで甚だしい寂寥感に襲われる時も少なくはないが、僕はこの情報化社会にその都度慰撫されている。

 

 僕の発信は非常に真摯で諧謔的な要素はあまり包含されていない。だからこそ価値があるものを生み出せるのかも知れない。いや、分からないが。僕は自分を過大評価しているのか、過小評価しているのか分からない。自己撞着である。しかしその複雑怪奇なペルソナこそがいつか水爆のような甚大な衝撃を起こさせる事を僕は信じている。そう、ポジティブだ。この拮抗する過去と現在が格闘する僕の脳髄ではやはりどれを取捨選択するか、苦に病んでしまう時も少なくはない。僕も耄碌しているのか。今年で26歳になるが。

 

 26歳、立派な大人だ。しかし僕は未だに恋愛未経験者であり、意中の人と結婚する事を夢想してはいるが、意中の人にアプローチする豪快さはない。僕なんかが話しかけて良いのかと怖気づいてしまう。そもそも今は病気のせいで平日以外には外出していない。今は週五で一時間勤務の仕事をしている。結婚したいなあ。出来てたら良いなあ。僕の典雅な人生の斜陽、それを終えた新たな人生の局面。

 

 昨日から部屋の照明が変わった。今では視覚過敏の僕でも暮らしやすい明るさで生命活動を行っている。この充実感。ベッドに仰臥しても、机でパソコンをしても、やはり安心感がある。言語がどこまで僕の人生を変えるか。どこまで僕の意識を変えるか。僕の大言壮語、意気軒高。僕はこれまで本当によく生き延びたと思う。最近は僕の努力と才能が結実しつつあるのか立て続けに良い事が起こっている。しかしいつまでもこの幸福の潮流が続く訳ではない。僕が失意のどん底にいようと、不遇でも、世相は寸毫も変化しない。日本はドイツにGDPが抜かれたというが、本当に日本大丈夫か。口先だけの岸田は経済を良くしようとする意欲が微塵も感じられない。昔からそうだ、政治家には当意即妙さが欠落している。それに今の時代は若者の声が矮小であり、声高に発信しようとすれば白眼視されたりすることも稀有な事ではない。危機意識を持った方が良い、未来や自分を変革しようとする意志がなければただ後退あるのみ、淀み、醜悪なコンセプトに横溢した人生に何の意味があるだろうか。まあでも僕も口先だけかもな。僕の渦巻く胸中は筆舌に尽くしがたい。如何にコンフォートゾーンに鎮座したところで行動しないと何も変わらない。僕は行動派だ。僕は今後も自分の信じた道を闊歩し続ける。

 

 僕は単に白痴の男だが、他の大多数の日本人はそうではないと思う。僕はまだこの日本も捨てたもんじゃないと思う。日本のエックスはイーロンマスクからも一目置かれているようだ。日本のエックスでの投稿全て英語に翻訳する事が出来れば急転直下、パラダイムシフトが起こるだろう。

 

 そう言えばルーリードはビートルズについてゴミと言っていたらしい。なんてことだ、青天の霹靂。

 

 やはり照明の調節が出来るようになってから生活が整然としてきた気がする。以前は光のせいで僕の思考は煩雑さを、雑多さを極めていたが。やはり僕は運が良い。僕は生まれた時も流産するかもと助産師が言っていたようだ。しかし僕は生まれてきた。黒くて小柄な赤子だったらしい。それ以後、僕の母親と僕の絆は無尽蔵である。しかしこのような事は単なるマザコンだ。母に心理的依存一辺倒をするのではなく、何とか大人として相応しい生き方をしないといけない。その為ならこのような塵芥の怪文書を書いて、未来へと向かうのもやむなし。

 

 ああ、色々と話したが、やっぱり僕は早く結婚したいなあ。家庭に自分の居場所を見つけたい。