私は今日大学の勉強をいつもの平日と同じようにこなした。ネットで買った数学の参考書は明日から明々後日の内に届くようだが数学ⅡとBだけで一緒に買った数学ⅠAは配送日未定となっている。私は数学の問題を解くのが非常に楽しみである。ユーチューブでも数学の勉強を見てた事があるが、どうしても利便性に欠ける。自分のタイミングで進めるには一々の操作が煩わしい。というのは産業革命に基づく災いとでも言えるのだろうか?セオドアカジンスキーが言っていたように。多分違うだろう。私は今日買い物以外の外出はしていない。のみならず京都は依然非常事態宣言が継続している。はつらつと外出する気にはなれない。そして明日からは極力家にいなければならない。数学の参考書が届くまで。実は以上にネットで買ったとあるが、それは誤謬である。代金引換なので届いたら代金を払って商品を受け取るという寸法である。

 まあ今まで私は再三再四に渡って数学への情熱をこのブログで伝えてきたが、肝心の実力が欠乏していた。数学を主として専門分野の研究をするにはやはり何かが欠落している。そして自分の実力と理想が渾然一体となって現状を把握する事に難を要するのが現在の私の状況だ。そして私は幾度もこのブログを更新してきたがこれほどまでに発信する情報の貯蓄が欠落した事は未だかつてないだろう。

 そうだ、私の姉の話をしよう。私の姉は幼い頃は○○教室やら何やらを我々兄弟に行っていた。謂わばプレ教育と言った所か。そして好きな漫画はリボーンとかしゅごキャラとかフェイトとかであった。たまごっちも所持していたのではないか。彼女は大した実力もない癖に机上の空論を展開するのを嗜好していた。答えるまでもない、取るに足らない事を私に言わせようとした。そして私と彼女は次元がまるで違うのにいつまでも対等に私に接していた。のみならず自分の実力不足を私の説明力の無さに置き換えた。そして自分の目が細い癖に他者に自分の特徴を投影したのか、私に目が細いと言った。因みに私の目は赤川凌我時代にもこのブログで掲載した写真のような目の大きさだ。

 私は兄弟の中で孤立感、自己中心的な役割を占めている事を幼い頃から理解していた。妹は私の一挙手一投足を模倣していた。彼女は自分が美人の母親に似ていると言っていたが、私は全く似ていないと思っている。喜劇性を帯びた自己愛の集大成なのだろうか。しかも余計な情報を私の同学年の生徒に吹聴した。取るに足らない人間の一人だ。私は兄弟の内誰とも自己同一化しなかった。その事が私の唯一の矜持であるが、私の真似をされるのを見ると胃がよじれるような心理的状況に陥る。これは高校時代も同様である。高校時代、チビの私よりチビな男が私の特徴的な登校風景を模倣して、荷物すらも模倣して歩いているのを見ると複雑な、イライラするような心境に陥った。

 他にも私は高校時代眉間にしわを寄せている事が多かったのだがその風体を模倣して、何故か対抗するように眼鏡を外して模倣されたのは惨事だった。全く自分の個性の希薄さ、オリジナリティのなさを埋め合わせるように私の模倣をしないで欲しいものだ。これから先はそんなことが無い事を祈る。