私は今日朝早く起きた。まあ相対的にだが八時ごろに起きた。だがしばらくベッドでゴロゴロしていた。今日は昨日の多忙さも相まってか何もしたいとは思えない。学校の課題も今日はやりたくない。英語の勉強もしたくない。本当に何もしたくない。それとは相対する世間のコロナからの回復ぶり。近畿地方では加速度的にコロナ疾患者が減少傾向にあるようだ。まあ六月までには一段落するだろう、このコロナの渦中も。私は数学の勉強ならやりたいが自宅付近の本屋では高校数学の参考書を取り扱っていない、なんと間の悪い事か。私は高校時代、幻聴が聴こえ始めるまでの間しかまともに勉強していない。今その不足の負債を返済する労務に追われている。

 どうして幻聴なんて聴こえたのだろう。神は私を笑っていたのか。急に人間が怖くなって、部活も一つ辞めて、その後の悲劇的様相を帯びた病的な活動全般は思い出すだけでもゾッとする。何度もこのブログで言及したように幻聴開始時が私の人生の節目、分岐点だった。その頃の私を魅了したのはあれほど傾倒した文学ではなかった。精神医学に他ならなかった。私はフロイトの本を読んで勉強に勤しんだ。そのおかげか大学の心理学概論では評価がSだった。まあ一年の頃の話だが。

 そして私は大学の卒論にフロイトの分析を交えた自らの独創的な理論を展開する予定だ。あわよくばそれをきっかけに革命者として名を馳せたい。そして今はもう眠気もない。しかし外出はしたくない。コロナによって引きこもりに拍車がかかったような状態だ。外が怖いとでも言うのだろうか。精神病院に入院していた引きこもりの三十台の男とちっとも変わらない。概して精神的な疾患を持つ者は単身では人との意思疎通の機会も激減してしまうものだ。

 そして私はあのユーチューブの実況者の生配信を視聴するのを辞めようかと思っている。視聴者全体が彼に阿っているようにしか思えないからだ。

 私は過去にジムモリソンを模倣したような挙動を取っていたがあの頃の私は本当に愚かだったと思う。いっちょ前に詩人を目指していたし。私は世の中を軽視していた。現実は悲惨なのだ。しかしその中でも人の暖かい広がりが欲しかった。しかし幻聴が聴こえる事もあって奇妙な、胃がよじれるような感覚を味わっていたのである。その感覚は今も私の中で生きている。教員に頭を思い切り叩かれた事も私に非があったのだ。

 私は簡単な計算すらもままならない。昨日母親との電話で分かった。私は消費した金銭を寸毫も気にしていない。これからは気を付けたいと思うが。