私はこの休暇中に理論物理学と数学、そして哲学についての思索を弛みなく継続してきた。今は自分の創造した諸理論の創造性を担保する為の自省の時期に差し掛かっている。これには時間の経過に付随してそれについての自信もついてくるだろう。先ほど私は運動して発汗した。そして自分のブログを閲覧して既知とした事なのだがフォロワーが一人減っていた。元来閲覧者の多いブログではなかったが一人減った事はやはり私を狼狽させるし、嫌悪感も募っていく。とは言え私のブログを見る事に意味も無い事の裏付けはついた事がそれのみならず他の諸事情からも類推出来る。アナロジーだ。

そして私は今NHkの高校講座を見ている。NHkは俄かにだが独自の哲学を感じるので私はNHkを趣味趣向の象徴の一種だと帰着している。それはNHKを見る事で高校時代に回帰した如きフィーリングを感じるからに相違ない。私は満足に青春を楽しむ事が出来なかった。複数の女性からアプローチを受けていたが、その頃は精神病故の苦悩や恋愛に対する関心度が低い様相を呈していた事もあって当時は忌避していた。その証拠に私は自身で自分が精神病だと吹聴して人との意思疎通の機会を忽然と拒否していた事もあった。これは後々下火になってきたがそれでも高校卒業まで尾を引いていた、私が高校を留年しているとの噂もあったがそれは私自身が決然と友達を貫通して否定した。私だって青春を楽しみたかった。しかし人生に対するぼんやりとした不安、芥川の言及するそれを不断と終始感じていたので土台無理な話だったのだろう。

 私は地元から電車で50分かかる高校に通学していたのだが、それは過年度入学する高校が自宅付近にあると私の卒業した中学と同じ中学からの生徒に揶揄されたりする可能性も想定できたのでその可能性を極限まで減らす為に入学した為だった。私は大学に入学してからは放埓の限りを尽くし、アリストテレスの定義する中庸の片鱗さえも見せなかった。おかげで高校時代は向精神薬の副作用で肥えていたのだがその時より遥かに超過した様相を帯びた肥え方をしていた。後にあった高校時代の頃の医者にも「丸々と太ったね」と侮辱された程だ。彼に悪意や故意があったかはともかくその言辞で私は自身の醜悪な姿勢を客観的に直視する事が出来てそこからは痩せる為に努力を開始した。今は長身中肉となった。

 精神病院に入院していた時は私の事を「凌我さんモテるでしょ?背高いしかっこいいし」と言われた事もある水準だ。まあ彼とはそれっきりで疎遠となったが。ただし絶縁とまではいかない。彼は自分のIQが80程度だと弁舌していたが、私は彼の事を寧ろ高知能だと捕捉していた。語彙力も豊富で、常識もある、少なくとも私が入院していた病院内で最もアレテ―、徳の高い人物だと私はみなしていた。入院中に私は重度の知覚過敏に見舞われ今はまだましだが丸い、過去にジョンレノンに憧憬して購入したサングラスをかけていた事もあった。その時はかっこいいと言われた。違う人が同じようなサングラスをかけてもそんなにカッコよくはならないとまで言われた。さて私は知能検査は病院で施行しなかった。私は心理検査を一般的な水準程度の信憑性がないと現在も考えていたし、過去の通院していた病院では軒並み知能検査、及び発達検査は必要ではないとの知見が支配的で、なおかつそれが私の中で決定的な思想の証拠となっていた。私は知能とは多面的なものでおあつらえ向きの検査なるものでは寸毫も測定する事が出来ないと現在でも考えている。しかし社会的、歴史的に私が自身を十分な成功が出来たと捕捉したら、知能検査をしても構わない。

 なぜかと言うと成功していない状態での知能検査は劇的に優秀な結果でない限り、いやそうであっても自らを抑圧する為のマイナスのフィードバックが生じると考えるからだ。人間の可能性は無限大なのだ、成功もしない内に例え自らの知的な能力の特性や傾向を探る名目であっても受けるべきではないと私は考えるのだ。個人的には私の知能検査が200以上あってもおかしくないとは思うが。これまで蓄積されてきた経験から十分にその可能性も考えられる。