すめらぎいやさか。
 
少欲知足とは、文字の如く「欲を少なくして、足るを知る」ことです。
足るを知らず、今に満足できず、森羅万象に感謝せず、嫉み、喧嘩、闘争ばかり繰り返しています。
物質が豊かになればなるほど人の心は豊かになれず荒んでいきます。
満たされれば満たされるほど、また新しい欲を生み、そんな欲は人に「不平不満・愚痴・文句・悪口」を言わせ、欲があるから、人は不満をいい、心が乱れ、世の中は乱れていきます。
かっての日本人はとりわけ明治以前の日本人は心が豊かでした。
欲を少なくし、今持っているものに満足し感謝し、生活していました。
世界屈指といわれた大都市「江戸」は数次の大火に遭いながらも人々はすぐ立ち上がり歩きました。当時の江戸は世界一と言われた治安と識字率に比例するように繁栄を極め、二百数十年に及ぶ泰平の世の中が続いたことは皆さんご存じでしょう。
筆者をはじめ現在を生きる現代日本人は大小に関わらずテレビや戦後の影響をうけています。テレビの時代劇を見て育った今の日本人は、西洋の文物が流入する以前の江戸時代は、いたるところに悪代官や悪徳商人がいて、民衆はしいたげられ、街角では辻斬り、盗賊、放火などが行われてた野蛮な犯罪の多い時代、暗黒な時代というイメージをもっているかもしれませんが、よく調べてみると、それはまったくのフィクションで、実際にはとても平和な時代で、本当の意味においても幸せな時代であったのです。
わが国では元禄三年当時になる1690年から1692年にかけて日本に滞在したケンペル(ドイツ人)は、「この民は、習俗、道徳、技芸、立居振舞いの点で世界のどの国民にも立ちまさり、国内交易は繁盛し、肥沃な田畠に恵まれ、頑健強壮な肉体と豪胆な気象を持ち、生活必需品はありあまるほどに豊富であり、国内には不断の平和が続き、かくて世界でも稀に見るほどの幸福な国民である」と記しています。
たとえば、花魁も現代の日本人の感覚では花魁は高級娼婦のように言われていますが、読み書きソロバン、あらゆる稽古事を身につけた人間性の良い女性はトップを極めました。二十五歳を越えると花魁は卒業しなければならないしきたりがあります。
躾、教養がある花魁は武家の妻や大名の妻になった女性もいます。
これらも今日語られることもありません。
今日の貨幣経済ではなく、米経済が物流の根幹を担っていたこともあり、蓄財
できないシステムもさることながら、当時の日本人は人としての「教養、見識」が今日の日本人と比肩できないほど豊かでしたした。
なぜならば、江戸の民は、いろいろな物を欲しがらず、現在の状態で満足し、欲望を全て、消してしまうのではなく、欲張らないで、与えられた現実を素直に受け入れ生活していました。
我々日本人は太古の昔より連綿と繋がる「やまとのこころ」を失わず明治以降の白人支配の価値観を捨て、「日本人が日本に帰る」秋がきています。