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昭憲皇太后陛下 御真影
明治の国母、昭憲皇太后陛下は大正3年4月11日、明治天皇陛下のみあとを追われるごとく崩御されて今年が式年の百十年にあたります。
昭憲皇太后陛下は、明治天皇陛下の皇后陛下であらせられました。
昭憲皇太后陛下は、(嘉永2年4月17日(新暦5月9日))従一位左大臣一条忠香の三女にご生誕あそばされ、諱は勝子(まさこ)。通称は富貴君(ふきぎみ)、富美君(ふみぎみ)寿栄君(すえぎみ)(明治元年)12月26日、美子(はるこ)と改名あそばされ、2月9日、入内して女御の宣下を蒙り、即日皇后に立てられあそばされた。
この際、天皇より3歳年長であることを忌避して、公式には嘉永3年の出生とされた。当初、中世以来の慣行に従って中宮職を付置され、中宮と称されたが、翌年、中宮職が皇后宮職に改められ、称号も皇后宮と改められた。この時を最後に、中宮職は廃止され、我国最初の皇后陛下でもあられます。
昭憲皇太后陛下は、明治天皇陛下とともに、わが国民の道徳の向上に、大きな感化を与えました。明治天皇陛下には、自己修養に努めていることが伺われる御製が多数あります。
昭憲皇太后陛下の御歌は2万7千余首、明治天皇陛下と琴瑟相和(きんしつあいわ)し、歌聖としても仰がれています。
明治天皇陛下は「教育勅語」を発するとともに、和歌の内に人の道を詠み、国民に人としての在り方を諭しあそばされました。
昭憲皇太后陛下もこれに和して、多くの道徳的な歌を詠んで、国民の心の向上を促しあそばされました。
朝ごとに むかふ鏡の くもりなく
あらまほしきは 心なりけり
(大意:毎朝見る鏡が曇りなく、ものを映すように、曇りのない状態でありたいものが、心です)
日に三度 身をかへりみし いにしへの
人のこころに ならひてしがな
(大意:一日に三度、自分を反省したという古人の心を、見習いたいものです)
人ごとの よきもあしきも 心して
きけばわが身の 為とこそなれ
(大意:人の話は良いことも悪いことも、注意して聞かせてもらえば、なんでも自分のためになるものです)
このような御歌で人の道を諭しあそばされた昭憲皇太后陛下は、女子教育の奨励にも力を入れあそばされ、女性教師を養成する東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の設立の際には、多額の手許金を下賜給い、開校式にも行啓あそばされました。そして、次の御歌を下賜あそばされました。
みがかずば 玉も鏡も 何かせむ
まなびの道も かくこそありけれ
(大意:宝玉も鏡も磨かなければ、何の値も出てきません。学業の道も同じことで、自分を磨く努力が大切です)
この歌は、同学の校歌となっています。また、戦前、唱歌として広く歌われた「金剛石・水は器」は、昭憲皇太后陛下が自ら作詩し、華族女学校(女子学習院)に下賜あそばされました。
◆金剛石
金剛石も みがかずば 珠のひかりは そはざらむ
人もまなびて のちにこそ まことの徳は あらはるれ
時計のはりの たえまなく めぐるがごとく 時のまの
日かげをしみて 励みなば いかなるわざか ならざらむ
(大意:ダイヤモンドも磨かなければ、宝石としての光は出てきません。人もまた、学問をしてこそ、真の徳が表れてくるのです。時計の針が絶え間なく回るように、時を惜しんで励むならば、どんなことでも成し遂げられないことがあるでしょうか)
◆水は器
水はうつはに したがひて そのさまざまに なりぬなり
人はまじはる 友により よきにあしきに うつるなり
おのれにまさる よき友を えらびもとめて もろともに
こころの駒に むちうちて まなびの道に すすめかし
(大意:水は器の形に従って、さまざまな形に変わります。それと同様に、人は交際する友人によって、良いようにも悪いようにも影響を受けるものです。ですから、自分より優れた、良い友を選び求めて、その友と一緒に、自分の心にむち打って、学びの道に進んでいきましょう)
昭憲皇太后陛下の御歌や唱歌には、人を信じ、愛し、助け合うという心があふれています。こうした精神は「昭憲皇太后基金」とともに、実践され、現在も世界の多くの国々の人々に、博愛の手が差し延べられているのです。
とりわけ日本赤十字社の設立と経営に尽くされ、赤十字国際委員会に寄付された「昭憲皇太后基金(Empress Shoken Fund)」は、赤十字の平時における救護活動の先例となり、いまでも世界各国の赤十字助成のために活用され、今日までその恩恵に浴した国は、延べ500ヶ国におよんでいます。
日本赤十字社の名誉総裁は以後、ご歴代の皇后陛下がなされておられます。
戦前の修身教科書には、「第一 皇后陛下」
皇后陛下はおちいさい時からしっそにあらせられ、又下のものをおあはれみになりました。皇太子妃にならせられましてから、ごじしんでかひこをおかひあそばしたり、いくさの時にははうたいをおつくりになって、ぐんじんにたまはったりなさいました。又皇后におなりあそばしてのちも、けういくのことやさんげふのことにお心をとめられ、まづしいものをおあはれみになるなど、ありがたいことがたくさんございます」(第三期尋常小学校修身書 巻三 大正八年)。
上記のように記述されています。
明治37年、明治期最大の国難といえる日露戦争が始まると、その行方に心を砕きあそばされ、自らは包帯を戦場に送ることに専念されました。『教科書が教えない歴史』によると「宮中の一室は包帯製作室と化し夜を徹して包帯作りに精励された」とのことです。
(参考文献、引用 明治神宮HP)
昭憲皇太后陛下 御尊影
また、画像の昭憲皇太后陛下がお召しあそばされたティアラが、ご歴代の皇后陛下にも継承され、皇后陛下へと至っています。
ここにも伝統を重んじ、継承あらせられる皇室の神髄が窺われます。
右より、昭憲皇太后陛下、貞明皇后陛下、香淳皇后陛下、今上皇后陛下 御尊影
明治の国母、昭憲皇太后陛下崩御より110年の式年にあたり、強く逞しかった明治の時代を偲び、失いつつある「日本人のこころ、やまとたましい」を取り戻したいものです。
中村草田男は、昭和初年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠みました。しかし、「明治」はわが国、日本人にとって遠くなってはならず、「明治」がありありと近づいてくるのを感じなければならなりません。
筆者は菊花の香りの中に、日本人が「気宇壮大」な「明治」を振り返る日が実現することを強く望んでやみません。
誇りある「日本人」として、「日本人は日本人らしく」ありたいものです。