『お茶会に招かれて』 一期一会

 
筆者が日々寂しく、悲しく思うのは日本という国に生まれ、祖先より素晴らしい文化を継承しながら文化を否定し、蔑ろにし文化を廃れさせていることです。
拙稿、「情緒を形に」でも述べていますが、お茶を考えても日本人は諸外国とは違います。諸外国ではカップにドボドボと注いでガブ飲みします。
しかし、わが国では茶道というものにしてしまう。「花」は華道、「書」は書道に芸術にまで昇華させ、武道にしても「美」「礼」を重視します。
日本人は何でも直ちに真似をして、それらを昇華させ日本人特有のものにしてしまう民族性があります。
茶道は、中国から伝わったお茶を日本独自の文化として研鑽し昇華した伝統文化です。
つい数十年前まで茶道は日本人の嗜み、礼儀作法を学ぶものとして多くの日本人が茶道を習いました。
若い世代の方々が茶道を敬遠している世情を残念におもいます。
筆者は小学校高学年より、茶道宗匠だった母の叔母に3年間師事しましたが、貴重な財産であると今日でもそう思います。
茶道は、現代日本人には「堅苦しい作法を学ぶもの」と見られていることは否定できません。千利休が説いた「わび・さび」は、「贅を尽くすのではなく心を尽くすことこそが茶道の本質である」というものですから。
逆に言えば、茶道は茶会を開いて客をもてなす主の心に対して応えるために正しい作法を用いるということでもあります。心の伴わない作法は、空虚なだけで主に対して失礼であるということでもあるのです。これが日本人が大切にしてきた「一期一会(いちごいちえ)」の精神だからです。
一期一会とは、千利休と弟子の山上宗二、そして江戸時代の政治家、幕府大老職にあった井伊直弼(宗観)によって完成した茶道の精神といえる言葉です。


井伊直弼(宗観)は茶道の一番の心得として、著書『茶湯一会集』巻頭に「一期一会」と表現しています。
『茶湯一会集』は現在でも、流派を問わず茶の湯のバイブルとして珍重されています。

そもそも茶湯の交會こうかいは一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會ににふたゝびかへらざる事を思へば、実にわが一世一度のなり。さるにより、主人は萬事に心を配り、いささか麁末そまつなきやう、深切しんせつ實意じついつくし、客にも此會に又逢ひがたき事をわきまへ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交るべきなり。是を一期一會といふ。

現代語訳すると

「そもそも茶湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度おなじ主客と交会するとも、今日の会に再びかえらざる事を思えば、実にわれ一世一度の会なり。さるにより、主人は万事に心を配り、いささかも粗末なきよう深切実意を尽くし、客にもこの会にまた逢いがたき事を弁え、亭主の趣向、何ひとつおろそかならぬを感心し、実意をもって交わるべきなり。これを一期一会という」 

大意は、
「今日の出会いは今日限りのもので、次に会う時も同じ出会いではない」という意味で、心を尽くしてもてなすことこそが茶道の目的であると説いています。


そして、一期一会の茶会が終わると、「今日一期一会済みて、再びかえらざることを観念し、あるいは独服をも致すこと、これ一会極意の習いなり」と・・・

井伊直弼(宗観)は今日、言論弾圧、粛正を行った人物と描かれていますが、安政の大獄で死罪となった吉田松陰は、彦根藩主就任当時に藩政改革を行った直弼を「名君」と評している。
井伊家の館からは維新後、直弼の遺品と思われる大量の洋書や世界の地図などが発見されており、「開国と富国強兵こそ日本が生き残る道」井伊直弼(宗観)の志と博識が伺えます。
安政の大獄は国の行く末を思い、自分の信ずるところは命を賭けても成し遂げるという、「一期一会」の精神を実践したもので、自身の悲劇的な最期を覚悟していたのではなかろうかとも思えます。

最近、「もてなし」という言葉がもてはやされていますが、「一期一会」が淵源にあります。我々後世の日本人は、「一期一会」を茶会の心得というだけでなく、わたしたちが接する人との出会いの心得としても大切なことです。今、この時、この場での出会いを大切にして、心をこめて人と触れ合いたいものです。
先人が切り拓いた足跡を辿りながら・・・


天皇彌榮(すめらぎいやさか)