旅の星 Tabinohoshi 「若狭~お水送りと鯖街道」 Wakasa Obama, Japan vol.13

 
 
 
 
拙ブログにご来訪くださり、感謝申しあげます。
もう少しで彼岸です。
お彼岸は祖先と現代日本人を結ぶ大切な日々です。
皆さんご存じのように春分の日を中日とした前後3日ずつの7日間は、春のお彼岸です。
仏教では、悟りの境地・極楽浄土を「彼岸」、迷いや煩悩に満ちたこの世を「此岸」とい­います。かつて日本では、西の彼方にご先祖様のおられる極楽浄土があると信じられてい­ました。太陽が真西に沈む春分は、もっとも極楽浄土に近づけるとされ、この日に仏事が­行われるようになったといわれます。
では「お水送り」はどんな神事でしょうか?
春を告げる東大寺二月堂(奈良市)の修二会(しゅにえ)=お水取りが去る15日未明、満行を終えました。
修二会(しゅにえ)は天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられます。以来一度も途絶えることなく続けられ、江戸時代の寛文(かんぶん)年間に二月堂そのものが火災にあった時も 三月堂を使って勤められたことから「不退の行法」と称せられており、今年1273回を迎えました。
まだまだ「春遠し」の地方の方々には申し訳ないのですが、奈良のお水取りが終わると春が来る。関西の人々は、毎年この春の兆しを待ちわびます。この奈良東大寺二月堂のお水取り(修ニ会の「お香水」汲み)は全国にも有名な春を告げる行事ですが、その「お香水」は、若狭鵜の瀬から10日間かけて奈良東大寺二月堂「若狭井」に届くといわれています。
「お水送り」も万葉の昔から連綿と続けられ、若狭・小浜から奈良へと伝えられた大陸文化や南蛮(なんばん)文化の歴史の足跡が、あざやかにこの伝統神事の中に残されているともいえます。
 奈良と若狭が昔から深い関係にあり、これからも絶えることのない無窮の歴史的な行事です。
筆者は若い頃に若狭を旅したことがありますが、このような素晴らしい神事を存じませんでした。いつか「お水送り」には参拝したいと思います。
冒頭の動画は若狭と古都、「奈良」「京都」を結ぶ絆、若狭の気候風土を余すことなく伝えています。
日々日本各地に展開される「神事」「仏事」にわが国の悠久の歴史を感じ、それらを絶やすことなく紡いできた先人・先祖に感謝せずにはいられません。
大型連休には海外へと旅する方々も増加していますが、わが国の至る所に存在する神社仏閣・景勝地にも足を運んでほしいと筆者は願ってやまないのです。
自国の文化に触れて遠い祖先に思いを馳せるのも日本人として大事なことではないでしょうか?
筆者はかって支那の歴史に興味があり、相当の文献を読破しましたが、支那は易姓革命と言う名の権力闘争の歴史でしかありませんでした。勝者が敗者の歴史を塗り替える連続でもあるのです。
わが国は万世一系の天子をいただく国です。歴史を塗り替える必要がありません。「お水送り・お水取り」のように無窮に続く神事もわが国には各地に存在します。知れば知るほど好きになる日本の文化に多くの方々に触れていただきたいと願ってやみません。
 
日本人に生まれて良かった。
 
天皇彌榮(すめらぎいやさか)