新しい年を目前に控えた12月12日、当神社二の鳥居前に奈良県花き植木農業協同組合より見事な大門松が奉納されました。 組合職員の方々によってクレーン車を使うなどして手際よく飾り付けが行われ、最後に神職によるお祓いを受けて完成。

奉納は今年で26回目になる。

奉納者の「地産地消」のこだわりから材料は全て奈良県産の物を使い、土台から先端までの高さがおよそ5メートルもある「ジャンボ門松」です。 歳神様が宿るに相応しい立派で大変華やかなこの門松は、1月15日の小正月まで飾られる予定です。

 

すめらぎいやさか。

 

一年は早いもので、もうすぐお正月です。

例年なら一年に二度、民族が大移動します.

筆者が子供の頃のお正月とは今のお正月は異にしているように思えます。

拙記事は筆者が10年前にエントリーした記事ですが、年々人の心、行動が荒み日本人のこころが後退しているように思え残念でなりません。

除夜の鐘が騒がしい、餅つきを自粛するなどの日本の伝統文化に異を唱える人々が横行しているようですが、哀しいかぎりです。

往古の昔より日本人はお正月を大切にしてきました。何があっても末代にまで伝えなければならない大切なものです。日本が日本であるために、日本人が日本人であるためにも。

日本らしさが薄れつつある昨今、今一度日本の伝統文化、神事を見直していただきたいと筆者は願ってやまないのです。

 

正月とは本来、その年の豊穣〔ほうじょう〕を司る歳神様〔としがみさま〕をお迎えする行事で、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っています。地方によっては1月20日までを正月とする(二十日正月・骨正月)ところもあります。

かっての日本人は、お正月を迎えるにあたり、家中が歳神さまをお祭りする祭りの場になったものです。そのため年末には、煤払(すすはら)いをして神棚や祖霊舎(みたまや)、仏壇などもきれいにし家中を清めました。そして注連縄(しめなわ)を張ったり注連飾(しめかざ)りを飾ったりして、不浄なものの侵入を防ぎ、家全体を神聖な場所にしなければならないとしたものです。
家の門や玄関に注連飾りや門松を飾るのは、そこが清浄な場所であることを示すし、歳神さまが家においでになるときの依り代(よりしろ、目印)とするためです。そして、床の間には鏡餅を飾って、歳神さまにお供えします。
お正月飾りはなるべく三十日までに済ませ、大晦日に飾ると「一夜飾り(いちやかざり)」といって忌み嫌いました。二十九日も「苦」に通ずるところから、お餅つきなどもこの日にはしないところが多かったようです。

現在でもこの風習は残っています。
そして歳神さまをおまつりするわけですから、家族一人一人が清浄な心身でお正月を迎えなければなりません。そのため神社では、十二月三十一日には「年越祓(としこしのはらえ)」というお祓いの神事が行われます。これは知らず知らずのうちに身についた罪や穢れを祓い清めて、清々しい心と体でお正月を迎えるために行いうものです。

 

 

 

 

 

本ブログ神社のお話で幾度も述べてきましたが、私たちの祖先は森羅万象(しんらばんしょう)すべてのものに神々が宿り、魂が存在すると信仰してきました。

作物の生命〔いなだま〕と人間の生命〔たま〕は1つのものであると考え、そのため人間が死ぬとその魂はこの世とは別の世界に行き、そう遠くへは行かず子孫見守っています。

死の清まる期間(弔い上げ)が過ぎると人の個性が無くなり「祖霊」という大きな集団、いわゆる「ご先祖様」になると信じられていました。この祖霊が春になると「田の神」に、秋が終わると山へ帰って「山の神」に、そして正月には「歳神」になって子孫の繁栄を見守ってくれているのだと言います。

 

正月は、日本の行事の中で最も古くから存在するものだと言われていますが、その起源はまだ詳しく分かっていません。仏教が伝来した6世紀半ば以前より正月は存在していたと言われています。「お盆」の半年後にやってくる正月は、かってはお盆と同じく「先祖をお祀りする行事」でした。しかし、仏教が浸透しその影響が強くなるにつれて、お盆は仏教行事の盂蘭盆会〔うらぼんえ〕と融合して先祖供養の行事となり、正月は歳神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」としてはっきり区別されるようになったと考えられています。
また、現在のようなお正月の行事(門松やしめ飾り、鏡餅などを飾ること)が浸透したのは、江戸時代に入り庶民にも手軽に物品が手に入るようになってからのようです。

1年の始めである正月は春の始まりを意味し、すなわち「立春」とも考えられており、人々は春の訪れがもたらす生命の誕生を心から喜びました。「めでたい(芽出度い)」という言葉は「新しい春を迎え芽が出る」という意味があり、また新年に言う「明けましておめでとうございます」という言葉は、実は年が明け歳神様を迎える際の祝福の言葉、つまり、神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から歳神様を迎えたことを喜ぶものでありました。

 

門松は、お盆の迎え火と同じで、「祖霊(ご先祖様)」、「歳神様」を松の枝、つまり門松に乗せて家々にお迎えする行事でした。前述していますが、門松は依り代(よりしろ)として、そこにご先祖さまや歳神さまをお迎えしてお祭りするという意味をもっているのです。したがって正月の歳神祭りは非常に重大な儀式であり、依り代としての門松は欠かせないものでした。もともと、お正月もお盆も共通の行事で先祖の御霊をお迎えし、丁寧にお祭りすることが本義でした。つまり、門松も迎え火もともに先祖の御霊をお迎えするための目じるしとしたものなのです。

 

若水とは、元日早朝に一番初めに汲む水のことで、人を若返らせ邪気を祓う力があると信じられてきました。 若水は、福水(ふくみず)・若井(わかい)・初井(はつい)などとも呼ばれ、地方によっては、元日の朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に出会っても口をきかないしきたりであったといいます。
平安時代の宮中では、立春の日に御門(天皇陛下)に差し上げた水(立春水)を若水といいましたが、後世になり元日に汲む水を呼ぶようになりました。

この行事は新しい年を迎えるにあたって、生命を育む水の力に対する信仰がもとになっているといわれ、水神が生命誕生や再生に大きな役割を果すことは、日本神話に見られるように古くからの伝承です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お節料理(おせちりょうり)は酒の肴(さかな)ではありません

お正月の料理にも、それぞれに祈りが込められ、例えば、お屠蘇(とそ)には、山椒、桔梗などの薬草が含まれており、これをいただくと一年の邪気が祓われ、寿命を伸ばすことができると信じられてきました。筆者は来る新年一月に還暦を迎えますが、往古(おおこ)の昔では、天寿を全うした歳にあたります。現在のように医学が進歩していない時代、寿命とは天から授かったものであると考えられてきました。


お節料理のいわれをあげてみると、据わり鯛(すわりだい) 尾頭付きの焼いた鯛で、二尾の鯛を腹合わせにして頭と尾を高くかかげたもので、目出度いに通じ、数の子 鰊(にしん)の腹子で、その由来は二親から多くの子供が生まれるという縁起をかついだもので、子孫繁栄の願いが込められています。
芋頭(いもがしら) 里芋の親芋で、家の芋ともいいます。小芋をたくさんつけるため、子宝につながり、また頭は人の上に立つ「かしら」に通じることから縁起がよいとされています。

昆布巻き 「喜ぶ」に通じ、現在でも目出度い席に使われます。
本来おせち料理とは、お正月や節句に神さまにお供えするご馳走のことをいいました。

 

 

 

 

 

 

 

お年玉は、お正月にいただくお小遣(こづか)いのことではありません
お年玉の語源は、古来の習慣であった歳神さまに供えられた鏡餅を人々に分け与えたことに由来し、鏡餅はもともと鏡をかたどったものであり、その鏡は、魂を映すものといわれてきました。古代の日本人は「魂」と「玉」は同じものと考えていたのです。このことから、歳神さまの魂は玉に通じるので「年玉」と呼び、神さまから頂くお下がりなので、敬って「お」をつけ「お年玉」と呼ぶようになったといわれています。
お年玉は、古くは現在のようにお金ではなく丸い餅でした。出生率の割に成人まで達する生存率の低かった昔、私たちの祖先は、子供たちの健全な成長を願い、歳神さまのお力がこもった丸餅を贈りました。
今はお金をあげますが、筆者の子供の頃は、まず神棚にお供えして祈りと感謝を込めて、神さまの前で一人ひとりに手渡しでいただいたものです。

初詣は、年が明けると、まず家族揃って地元の神社にお参りに行きます。年が明けてから始めて神社に参拝することを初詣といいます。氏神さまや、その年の恵方(えほう)にあたる神社などにお参りして今年一年の無事と平安を祈る行事です。
近年は、除夜の鐘が鳴り終わると同時にお参りする習慣が一般化してきていますが、古くは年籠もり(としごもり)といって、大晦日の夜から元旦の朝にかけて、氏神さまにお籠もりするのが慣わしでした。やがて、この年籠もりは除夜詣でと元日詣での二つに分かれ、初詣のもとの形となったのです。現在でも、除夜に神社などに一度参拝したのち家に帰り、元旦になって改めてお参りに出かけるという地方もあります。
お参りの順序としては、まず、一番身近な氏神さまをお参りしてその年の幸を祈り、それから日頃崇敬する神社や、恵方のお宮へ行かれるのが順序とされています。

 

 

 

 

 

 

お正月が一段落した十五日には、小正月の行事が行われます。
代表的なものは、左義長(さぎちょう)・どんと焼き・鳥小屋(とりごや)などです。これはお正月にお迎えした歳神さまをお送りする行事です。お正月に飾った注連縄や門松、古いお神札(おふだ)などを焚き上げます。その火や煙に乗って歳神さまがお帰りになるといわれています。

 

日本人は太古の昔より、祈りと感謝を本義とした民族でした。

和を尊び、謀(はかりごと)を良としませんでした。

 

本来の日本人のよき精神、よき日本の文化、美(うま)し日本の原風景を子孫に伝えていくことが現世の我々の使命ではないでしょうか・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一月一日 / 祝日大祭日唱歌八曲

 

 

【一番】
年のはじめの 例(ためし)とて
終(おわ)りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝う今日こそ たのしけれ

【二番】
初日のひかり あきらけく
治まる御代の 今朝の空
君が御影(みかげ)に 比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊けれ

(筆者意訳)

日本は神国です。

年の初めに行うきまりごととして今上陛下の御代が天壌無窮に栄えるように祈る。門松は歳神さまを迎える依り代です。

神国日本をみんなでお祝いをしましょう。

 

初日の出を見ると少しづつ光が差してきます。

四方が曇りなく元旦にふさわしい。

四方拝で国民の幸せを祈られる陛下のご尊影と、空の様子を重ね、仰ぎ見る偉大な尊い存在です。