イメージ 1


すめらぎいやさか。
新年あけましておめでとうございます。
昨年は多くの方々のご来訪いただきありがとうございました。
本年も幾久しくよろしくお願いいたします。

冒頭の画像は未曾有の経済繁栄を誇っていた大阪万博の年に決死の覚悟で「檄」を発っせられた国士、三島由紀夫氏の画像です。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」と題されたその記事は、昭和45年7月7日、サンケイ新聞夕刊に、三島由紀夫氏の記事が掲載された。この記事の発表から四ヶ月余り後、三島氏は自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で決起を促す訴えの後、割腹するという壮絶な最期を遂げました。
当時の世間は、3月にはじまった大阪万博の豊かさに酔いしれていました。
多くの人々が空気のように豊かさをむさぼり享受している傍らで、三島由紀夫氏は絶句していたのです。
また三島由紀夫氏と親交のあった俳優、鶴田浩二氏も当時の世情を憂い、

 「私の飲む酒の味は苦い。だからつい、ガブ飲みになり、3日酔い、4日酔いということになる。私には今の日本の見せかけの平和が気にいらないんだ。純粋に国のために戦って死んでいった人達の骨が、まだ海の底に、南方各地に散らばっているというのに、もう戦後は終わったとばかりぬくぬくしている連中に腹が立つ。万博の、オリンピックのとお祭り騒ぎをする前に、何でその金の何百分の一でも遺骨収集に使ってくれないのか。一映画俳優の私だが、そのために微力をつくしたい。私が決して好きでないリサイタルなどをやったのも、そのためなのです」と三島氏の死後、昭和46年に語っています。
真の姿の鶴田氏は黙々と働き、巨額の私財を使って戦没者の遺骨収集に尽力し、日本遺族会にも莫大な寄付金をした。この活動が政府を動かし、ついには大規模な遺骨収集団派遣に繋がることとなったのです。生涯を通じて、亡き戦没者への熱い思いを貫き通しました。
三島氏や鶴田氏の他にも豊かさを謳歌する当時の世相を否定する方々は多く存在したはずです。もちろん大東亜戦争を戦った方々です。
三島氏の自決からもうすぐ半世紀を迎えようとしています。
一部の日本は三島氏が予見したとおり、いやそれ以上の加速を増し、『日本』は亡国へ向かっています。
外交面では覇権国家「支那」の膨張になんら大きな効果がないまま時が過ぎ、主権国家としての矜持すら感じられない北朝鮮による拉致被害者奪還にむけての停滞感。
教育においても改革の二文字は躍るのみで何ら精華を発揮せず、「いじめ問題」は大きくなるばかり。生徒、児童の学力は低下の一途をたどり、教育現場の崩壊すら叫ばれている。
これらに歩調をあわせるかのように市場原理の跋扈のもと、弱肉強食の世間になりつつあり、かって終身雇用を誇った日本商店の精華さえも崩壊し、日本国じたいが不安定になっています。
世界一を誇った「治安」も失われ、働かない若者が増え、犯罪の低年齢化が進み、金銭にからむ不正が官界、財界、国民一般の道徳も地におちたと筆者は感じます。
これら問題の根幹は政治家、官僚だけの問題、財界人の見識不足だけにとどまらず、学校教師、家庭教育の力量不足も要因している。
体に例えるならば手足が痛い歯が痛いなどの局所的なものではなく全身が悪しき細胞に冒された全身症状といえる。国家の体質は国民ひとりひとりの体質の集積であり、国家の品格は国民ひとりひとりの人格形成の集大成といえましょう。
この国家的危機、堕落の本質は教育に要因しています。
「ゆとり教育」「人権教育」「個を尊重」「国際人を育てる」「生きる力を育む」「指導ではなく支援」あらゆる処方箋が唱和され、投薬されてきましたが一向に回復に向かう兆候すらなく、いたずらに秋を刻んでいるのみです。

教育を立て直す以外に我が邦が再生する道はありません。
七十年かかって歪んだ教育の再生は十年、五十年、百年の長い時間を必要とします。
まずは言語の乱れを正すことが教育再生の一歩といえるのではないでしょうか?言語の乱れは社会の乱れともいいます。
一時英語を「第二の公用語」にするという話題がありましたが、筆者にはまったく理解できません。フランスの憲法ではフランス語が国語であると定められています。我が邦の憲法に「日本語が国語」であるという条文はありません。
「日本語が国語」であるという条文がないのは、日本が日本語を国語として定める必要がないのは「日本人なら日本語があたりまえ」と筆者を含め多くの日本人が感じていることでしょう。これらは我が邦が言葉を奪われた歴史がないからです。一定期間その民族の言語と歴史を奪えばその民族は滅びます。
大東亜戦争後、我が邦は米国によって占領された期間がありましたが、寛大なアメリカは日本語を奪い、英語を押しつけようとはしませんでした。幸運だったとしかいえません。占領したのがソ連(ロシア)支那だったら確実に言語と歴史は奪われていたことでしょう。それほど言語と歴史は大切なものなのです。
昨今はマスコミによる日本語の変革がなされています。昭和の時代になかった外来語が溢れ、エリートぶった浅はかな人々によって日本語は歪められています。








小学校から英語を教えることは日本を滅ぼすもっとも確実な方法


数学者で「国家の品格」「祖国とは国語」の著者、藤原正彦氏は十年前に主張されました。
当時全国の駅前に英会話教室が現れ、巷に英会話の教材が溢れていました。
しかし、駅前留学の英会話が多くの人々に賛同を得られたでしょうか?
大学生の学力低下、とりわけ国語力劣ると言われて久しいのですが、その原因は小学校からの初等教育のあり方にあると思います。初等教育では徹底して基礎学力をつけなければなりません。
基礎学力とは「読み・書き・ソロバン」=国語・算数を言います。
これは江戸時代の寺子屋教育の時代に当時の先生らが喝破しています。
藤原正彦氏は、「1に国語、2に国語、3,4がなくて5に算数」だそうです。自分の母国語、つまり日本人なら日本語の能力がすべての基礎になります。日本語のできない人間に外国語ができるはずがありません。こんな簡単な理屈が分からないのは戦後の日本の学者や役人の異常さとしか言いようがないと言われています。
戦後文部官僚が施した政策に見るべきものがあったでしょうか?

「戦前教育は国語教育重視」
戦前の時間割では、国語が小学校四年生までの総授業時間の約半数を占めており、国際的に見ても傑出していました。
現在見られるような「教科の平等」ではなく、あくまでも国語重視でした。
その理由は、母国語こそが全ての知的活動の基盤であり、表現だけでなく思考そのものが国語を通じて行なわれる。国語力なくして算数も理解できないとの基準でした。

言葉は人間のすべてといっても過言ではありません。
言葉を身につけるのは、小学校間が最も適していたからです。国語による読書を通じ、情緒や道徳を学ぶことができ、古典・詩歌を読むことで、感情、情緒が養われ、家族愛・郷土愛・祖国愛・人類愛が養われていったのです。
過去、現在においても、「言語を一定期間奪われると民族は亡びる」と言われています。なぜなら、民族としての情緒、道徳、文化、伝統の中核に母国語があるからです。
これは、世界の歴史が証明しています。
戦前世代の方々の国語力はここから生まれています。
誇りある文化を失いつつある日本、荒れ果てた民心、青少年の著しい学力低下、といった現状を考える時、小学校国語の質と量にわたる飛躍的充実は、日本再生のための不可欠な第一歩です。
 
藤原氏の著書「国家の品格」で英語教育について次のように述べられています。
そもそも小学校で英語を23時間勉強しても何の足しにもなりません。きちんとした教師の下、週に10時間も勉強すれば少しは上達しますが、そんなことをしたら英語より遥かに重要な国語や算数がおろそかになります。そのような教育を中高でも続ければ、英語の実力がアメリカ人の5割、日本語の実力が日本人の5割という人間になります。このような人間は、アメリカでも日本でも使い物になりません。
 少なくとも1つの言語で10割の力がないと、人間としてのまともな思考ができません。言語と思考はほとんど同じものだからです。日本の公立小学校は一人前の日本人を作る教育機関ですから、英語はダメなのです。

付け足す言葉もいりません。
しかし、我々の思惑、願望をよそに亡国の教育は今日も続いているのです。
「米百俵の精神」はどこへ・・・

天皇彌榮(すめらぎいやさか)