イメージ 1
國譲り 
 
 
 
日本は古来より、「大和の国」と言われ、日本人は「和」を重んじる国民です。そのことを、私たちは、日本の神話や歴史の中に見出すことができます。日本神話には、天照大神の子孫がこの国を治めるようになる前に、大国主命(おおくにぬしのみこと)が国を治めていたことが書かれています。
「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれ、豊かで住みよい国でした。大国主命とは、天照大神の弟で出雲に住みついた須佐之男命の子孫であり、神話「因幡のしろうさぎ」の主人公でも知られています。
天照大神は、この国は自分の子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が治めるべきだと考え、大国主命に国を譲るよう求めましたが、大国主命はこれに従い、「国譲り」が行われます。この日本の国の起源を伝える話に、古来より日本人の「和」の精神を見ることができます。
 
天照大神は、話し合いによる「国譲り」を試み、建御雷神(たけみかずちのかみ)を使者として送ります。これに対し、大国主命は「私の一存では決められません。子供の事代主命(ことしろぬしのみこと)に聞いてください」と言います。親である大国主命は独断で物事を決めずに、子供の意見を尊重しました。
長男である事代主命は、国譲りを承諾しましたが、しかし、弟の建御名方命(たけみなかたのみこと)は反対し、建御雷神に力比べを挑みます。結局、建御名方命は諏訪湖まで逃げたところで敗れ、国譲りに同意します。
建御名方命はそのまま、諏訪の地にお鎮まりになり、諏訪神社のご祭神として祀られておられます。また、建御雷神と、建御名方命との「力比べ」が日本の国技となる相撲の起源となったと伝えられています。
 
イメージ 2
「力比べ」
 
 
子供たちが同意したと聞いた大国主命は「私には何の異存もありません。この国を高天原の神にお譲りしましょう」と、「国譲り」は行われました。
このように、「国譲り」は、話し合いを主として行われ、「力比べ」などの部分的に抵抗はありましたが、双方の合意という形で実現したと描かれています。しかも、単なる併合ではなく、譲り受けた側が譲った側に対し、最高の礼を尽くしています。国を譲ったとはいえ、おそらく大国主命には恨みが残ったことでしょう。それに対し、天照大神は、天日隅宮(あめのひすみのみや)という大宮殿をつくり、自分の第二子の天穂日命(あめのほひのみこと)を大国主命の霊に仕えさせます。この宮殿が、出雲大社の起源です。そして天穂日命の子孫である出雲国造が代々の出雲大社の祭祀、宮司を務め、現在まで続いています。現在の宮司は、84代国造千家尊祐氏。
出雲国造が代替わりした際には、はるばる朝廷にまで参向し、宮中において天皇の御代を言祝ぐ「出雲国造神賀詞」が新しい国造によって奏上されました。
 国造(くにのみやつこ)というのは全国にたくさんいたわけですが、この神賀詞の奏上を行うのは出雲国造のみで、特別な扱いをされていたことがわかります。
また、現在も、皇室といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。


 
イメージ 3
天日隅宮(あめのひすみのみや)
 
大国主命は、国譲りをされて、この世(顕事)は皇孫が治めることになりましたが、代わりに、幽世(かくりよ)に退かれて神事(かみごと)を治められることになりました。幽世とは目には見えない、耳には聞こえない神や霊魂の世界のこと、神事とはそのような神の働きのことを言います。つまり、大神さまは神々の世界を治める神さまになられたのです。そして

 八十万の神たちを率いて、永く皇孫の為に守って欲しい〔日本書紀〕

と、天つ神よりお願いされました。こうして、たくさんの神々を率いて、皇室、そして日本の国をお護りされる神となられたのです。ですから、朝廷からは格別の崇敬を受けてきました。

古くから我が国では10月を神無月(かんなづき)と言います。これは10月に日本中の神様が、出雲の国に集まり会議を開き、他の国には神様が居なくなってしまうことからそう呼ばれてきました。神様の集まる出雲の国では反対に10月は神在月(かみありづき)と呼ばれています。この会議は旧暦の10月11日から17日までの間、出雲大社で開かれ、その後、佐太神社に移動し26日まで会議の続きを行うと言われています。
 
現在は大社と名乗る神社はたくさんありますのが、平安時代の「延喜式」の神名帳には式内社と呼ばれる全国で2,861社の神社の名前が掲載されていますが、大社を名乗るのはただ一つ出雲大社だけです。

 また、明治時代より、第二次世界大戦まで続いた神社の近代社格制度においても、大社を名乗れたのは出雲大社だけでした。
如何に歴代皇室が、「国譲り」に対して、礼節を重んじてこられたかがよくわかります。
 
イメージ 4
皇后陛下 御歌
 
 
日本ではこのように遠い神話の時代から、「和」が重んじられてきました。私たちはこうした世界に希な「和」の國の国民なのであります。
胸をはり、誇りをもつべきです。