靖国神社を思う
創建(明治2年)日本陸軍の創始者・大村益次郎の献策によって戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するため、東京招魂社(後の靖国神社)の建立を献策。
(吾以つて国を靖んずるなり)を典拠として明治天皇陛下が命名された。
祭神は天皇陛下でもなく皇室の祖先である神々でもなく、戊辰戦争より大東亜戦争までの国の為に命を捧げた戦没者・英霊 
246万6532柱
(祭神である関係から人ではなく柱という単位になる。被祀者の氏名の最後に「命(みこと)」をつける。)
 
内訳
維新殉難者 吉田松陰、坂本龍馬、武市半平太、高杉晋作、など幕末の志士。
女性は5万7千余柱が祀られている。西南戦争より、大東亜戦争までの軍病院、病院船の従軍・救護看護婦など。ひめゆり学徒隊白梅学徒隊等などの7女学校の生徒などの女性。
軍需工場で被災した学徒、疎開中に敵潜水艦によって沈められた小学校児童。
シベリア抑留関係で亡くなった人。
戦争終了時に自決した人。
昭和受難者。
戦時中に日本領であった台湾・朝鮮半島をも含む。
戦後の自衛隊殉職者は含まない。
 
戦後政教分離の政策から宗教法人となっているが、国家管理に戻そうと自由民主党が5回法案を提出、諸事情により廃案となった。
日本を占領したGHQは靖国神社を焼払いドッグレース場を建設しようと計画、ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の侵略政策と相容れない犯罪行為である」とまで言って中止となった。
 
現在韓国・中国から非難を受けているのは昭和受難者のことであるが、かっての中・韓指導者とも決着をみており、毛主席は「日本の軍国主義のおかげで権力と権利をえた。」とまで公言しているぐらいである。
まして靖国神社じたいが国内のことであって、戦没者・英霊に国の指導者が、敬意を表し慰霊するのは当然のことであり、内政干渉も甚だしい。「そして関係ない!」
日本の指導者よしっかりしてくれ!