語り部バスで案内されたのは74名の方が犠牲になった志津川病院や、最後まで防災無線で住民への避難を呼びかけ犠牲になってしまった遠藤さんらがいた防災庁舎などでした。

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そして、ホーム以外全て流されてしまったJR志津川駅です。

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1年がたち線路があった場所に数々の草やお花が咲いていました。

志津川駅に1人立ってみると、建物が建っていれば到底見通すことなんてできないであろう志津川湾や病院、庁舎を一気に見渡す事ができました。

何とも言えない気分でした。

どこの被災地域でも聞かれる事ですが、震災のモニュメントとして被災した建物を残そうか…

しかし、やはり多くの住民の方が『見るたびに思い出してしまい辛い』ということで、病院も庁舎も取り壊しが決まったそうです。

この南三陸町でも、いまだたくさんの方が行方不明という現実。

案内して下さった、ホテル観洋の方が言っていました。

『この語り部バスを始めた頃は、この震災をこんな風に語っていいのだろうかと、とても複雑な思いでした。しかし、町が崩壊してしまった今、被災地視察でも何でもやはり少しでも多くの方に来て頂くことで、震災の風化を防ぎ復興の第一歩になれば』



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