言葉選び | むーのブログ

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 4月の初め、家のポストに一通の手紙が舞い込んできた。

 

 今月は私の誕生月だったが、そのお祝いのメッセージにしては早すぎるな、と開封する前から何となく胸騒ぎがしていた。それは大切な友人と思っていた人から、袂を分かちたいという内容の文面だった。まるで桜が舞い散る時期に合わせたかのようだった。

 

 思い当たることはあった。それまでも私はたびたび、その人に対して失言して機嫌を損ねることがあった。その場では言われないのだが、後で振り返って指摘されるので、そこで初めて自分が失言したことを知るのである。その手紙もそうだった。それまでも失言を指摘されるたびに反省して、私は自分の語彙選びのアップデートができていたつもりだった。実はそうではなかったのだと、この手紙でようやく気づかされた。何度注意されても懲りない私に業を煮やしたとしても、不思議ではない。

 

 何気なく言ったひと言が思いもかけずその人に違和感を持たれてしまうことがよくあったので、それまでも慎重に言葉を選んでいたつもりだった。それでもつい油断してポロっとうっかり失言してしまうものなら、たちまちしっぺ返しを食らった。

 

 その人は、私が過去に話したさまざまなことを実によく覚えていてくれて、そんなことまで思い出せるのかと、こちらが感嘆するくらいだった。私の話すことを一言一句逃さず、よく聴いてくれていた。だから的確な言葉を選ぶと好意的に受け止めてくれていたし、的外れな言葉を選ぶと嫌悪感を露わにされた。それはいつしか、私の言葉選びが適切かどうかを測るバロメーターになっていった。

 

 どこまでもその人は私の言葉選びのことを真剣になって、注意してくれた。こんなにも真摯に向き合ってくれたのに、もうその人はいなくなってしまった。


 失ったものの大きさは計り知れない。