1987年(昭和62年)4月23日(木) ナホトカ→横浜

 

 起きて丸窓から外を見たら陸が見える。北海道だ!本州だ!船は津軽海峡を通っていた。朝食もそこそこに外へ出てみる。うわぁー、本当に日本に帰ってきたんだ!!と実感する。

 小さな漁船や青函連絡船を見つけると嬉しくなって手を振った。海峡に入って波は穏やかになった。キャプテンブリッジに行って船運航の説明を聞いた時も、レーダーに映った陸の形が下北半島だった。
 

 晴天で暖かくデッキは日光浴をする毛唐でいっぱい。近くにいた女性が一生懸命に日本語の勉強をしている。目が合って側に行った。

 彼女はケイトというニューヨーク生まれのアメリカ人で、しばらくイギリスのブリストルにいたらしい。日本にはボーイフレンドがいて、彼の勤めるオフィスのボスは浜田さんというらしい。まさか夫の知り合いの浜田さんではなかろう。わたしは彼女の言うことの半分ぐらいしかわからず、話すのも単語を並べるだけで、しどろもどろ。それでも気持ちは通じてすぐ仲良くなった。

 私のチベットの話を興味を持って聞いてくれた。日本に行くからには日本語の勉強をするという考え方、イギリス人っぽく穏やかな話し方が好きだ。
 

 昼食後はキャビンでお昼寝、午後のお茶の後は映画「ひまわり」でも見ようかと思ったら、MTVのようなものがあっていて見れなかった。そのうち本州が見えなくなり少し揺れ始めたが、船酔いなんてなんのこと?というくらい元気だった。
 

 あしたはいよいよ横浜着。今晩はキャプテン招待の晩餐会らしいが、シャワーを浴びたら時間が無くなって、ノーメイクのまま食堂へ行った。同席の化学者内田さんは正装してあった。ただ正装してあったのは2~3人だけだったが。キャプテンは出てこられなかったけど、キャビア付きの前菜などご馳走だった。
 

 9時ごろからBarで最後の夜だからとウィスキーのオンザロックをがぶ飲み。船尾のフロアでディスコ大会になる。昨日からの顔馴染み。東欧の美女はスイス人二人が狙い、母親と一緒の若い女の子には隙をねらって長身のハンサム男が話しかけていた。
 夫が酔っぱらって能のお仕舞を始めたら毛唐に大うけ。その後もそれぞれの国の出し物をして盛り上がった。〈船中泊〉